MUJI BOOKS 人と物

ずっといい言葉を文庫本で。
人と物をつなぐ「人物シリーズ」です。

人と物2 「花森安治」

雑誌「暮しの手帖」初代編集長が伝えるあたりまえのくらしの、
ささやかな喜び。「高価なものと美しいものと」他3編を収録。

花森安治/「暮しの手帖」初代編集長(1911-1978)
戦後まもない1948年に「暮しの手帖」を創刊した花森安治は、豊かで美しい毎日の生活を伝えるために、文章もイラストも自らペンをとった名編集長でした。そこにはくらしを大事にすることが、二度と戦争を起こさない世の中をつくるという信念がありました。ほんとうに美しい装いを若い女性に向けて語る「若いひとに」他3編を収録。

【書籍情報】
MUJI BOOKS文庫 人と物2『花森安治』
著者 花森安治
定価500円(税抜き)
2017年6月1日 初版第1刷発行
ISBN978-4-909098-01-6 C0195

【目次】
くらしの形見
花森安治の言葉
若いひとに
高価なものと美しいものと
見よぼくらの一戔五厘の旗
逆引き図像解説 この人あの人

購入方法:MUJI BOOKS全店及びネットストア
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ネットストア|人と物2 「花森安治」

くらしの形見

花森安治がたいせつにした物には
こんな逸話がありました。

クレパス
クレヨンとオイルパステルを合わせたサクラクレパス50色。表紙画を描くのに好んで使った愛用の仕事道具です。編集長として手がけた152冊の「暮しの手帖」の表紙はすべて自らデザインし、表紙画では衣食住の風景や生活の道具を温もりのあるタッチで描きました。
絵手紙
幼稚園に通う孫娘にあてた2枚つづりの夏の絵手紙。幼い孫が読めるように文章の間に絵文字がふんだんに散りばめられています。自宅の台所で〝ぴいちく ぴいちく〟と鳴く飼い鳥の「ぴーぴこ」がふたりの共通の話題。職場では厳格な編集長も、プライベートでは孫にメロメロの優しいおじいちゃんでした。
ボレックス8mmカメラ
青年時代から自作の映画を撮るほどカメラが好きで、仕事場でも一人娘の結婚式でもカメラを手離しませんでした。愛用はボレックスとベル・アンド・ハウエル。8mmカメラを肩に下げて取材をすることも多く、編集長ながら自ら写真や記録を撮り、原稿を執筆しました。編集者は職人(アルチザン)であるべし、これが花森安治の信条でした。
シェーファーのインク瓶
最後の一滴まで使えるように小さなポケットがあるインク瓶。アメリカの老舗文具メーカーであるシェーファー社のものづくりに心意気を感じ、仕事机にいつも常備していました。その機能性の素晴らしさはエッセイ「シェーファーのインク瓶」に綴られています。
肥後の守(ひごのかみ)
鉛筆は2、3センチになるまで大事に使った花森愛用の折りたたみ式ナイフ。「割込肥後常盛」と刻印があり、刃は鋼を軟鉄で挟み込んだ割込構造です。絶筆となったエッセイ「人間の手について」では、全国の小学校に導入されている鉛筆削り器を嫌い、子どもたちが自らの手で削ることが「手の勉強」であると伝えました。
目覚まし時計
東京の自宅で使っていた目覚ましはドイツのキンツレ社製。1960年代に京都のホテルで療養した際も、家族に頼んで自宅からわざわざ取り寄せました。暗い寝室でも時間がわかるよう、数字が蛍光塗料になっている点がとくにお気に入りでした。
「暮しの手帖」表紙原画
「何かあったときにこれを」と、1976年の創刊以来の仲間である大橋鎭子に託した油彩の絵。亡くなった3ヶ月後、「暮しの手帖」2世紀53号の表紙を飾りました。この絵をはじめ、晩年の花森は女性をモチーフにした油彩を多く描いています。
あいうえお原稿用紙
暮しの手帖社のオフィシャル原稿用紙に書いた日本語の五十音。あたりまえのくらしを守りたいと戦後日本で「暮しの手帖」を刊行した花森は、言葉もまたくらしの道具と考え、ペンの力を信じた編集者でした。
 ――「ぼくは編集者である。ぼくには、一本のペンがある」(花森安治)

この人(プロフィール)

花森安治(はなもり やすじ)/「暮しの手帖」初代編集長(1911-1978)
神戸の貿易商の家の長男として誕生。戦後まもない1948年、二度と戦争を起こさせないために、くらしを大切にする世の中にしようと、「暮しの手帖」を創刊。編集長として30年間で152号を手がけ、文筆、イラスト、デザイン、装釘などマルチな才能を発揮した。広告を一切のせず、つねに生活者の目線に立つ姿勢が、いまも多くの読者に愛されている。著作は『一戔五厘の旗』(暮しの手帖社)、『逆立ちの世の中』『風俗時評』(中公文庫)など。「暮しの手帖」は現在も刊行中。