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【みんなみの里】ひっそりとたたずむ石碑が当時を語ります | 明治天皇主基斎田祉

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2019/11/13

 明日11月14日夕方から翌15日明け方にかけて、新天皇の大嘗祭(大嘗宮の儀)が行われます。毎年11月に歴代天皇による新嘗祭がおこなわれますが、なかでも新天皇がはじめておこなう新嘗祭を「大嘗祭」と言います。
 その儀式とは、皇居・東御苑に造られた大嘗宮に新天皇が一晩こもり、歴代天皇をはじめとする神々へ五穀豊穣と国家・国民の安寧を祈り、新穀や酒をはじめ、全国から寄せられた特産物もお供えします。
 すべての神々へのお供えがすんだあと、新天皇はお供えものと同じものを口にします。
 このときまで、天皇はじめ皇族の方々は、新しい穀物を食べることはないそうです。大嘗宮の儀が本当の意味での即位なのかもしれません。

 神々にお供えされる新穀は、亀の甲羅を火であぶって占う卜定(ぼくじょう)によって選ばれた斎田から届けられたものです。
 今回は、悠紀(ゆき)斎田が栃木県高根沢町の田んぼから「とちぎの星」というお米が、主基(すき)斎田は京都府南丹市の田んぼから「キヌヒカリ」という銘柄がそれぞれ献上されます。


 じつは、鴨川にも主基斎田があります。


(斎田の一部を記念公園にしました。)



 明治天皇の大嘗祭に、安房国の北小町村(鴨川市北小町)字仲ノ坪の田んぼが主基斎田として選ばれました。
 その田んぼには、八神殿(はっしんでん、天皇を守護する八神を祀る)や稲実殿(いなのみどの、収穫した稲を納める)などが設けられ、やがて宮殿より派遣された役人により各儀式が進められていきました。
 大嘗祭がおこなわれたのは明治4年11月17日(1871年12月18日)、皇居吹上御苑にておこなわれました。このときに悠紀斎田と主基斎田のお米が使われたのです。
 無事に大嘗祭を終えたのち、八神殿や稲実殿などの建物はすぐに取り壊され、もとの水田の姿に戻されたそうです。


(日本の米づくり百選選定記念碑)

 それまで京都でおこなっていた大嘗祭を東の京(みやこ)に移し、新政府がすべてを主導したことは、長く続いた江戸幕府が終わり、新しい時代への幕開けを印象付けたことでしょう。


(長狭街道脇にひっそりとたたずむ石碑)



(長狭街道沿いの主基斎田祉公園への入口)


 また、平成までは前天皇がなくなったあと一年間喪に服し、翌年大嘗祭をはじめとした即位の儀式がおこなわれていましたが、今回は譲位ということで上皇様もお元気なことから、即位に関する一連の行事は心から笑顔で祝福できるものとなったことは喜ばしいことです。
 先日のパレードにも多くの国民が詰めかけ、当日のお天気のようにとても晴れやかなものとなりました。
 この時代が素晴らしいものになるのかは、私たち一人一人の生き方にもかかっているのではないでしようか。



 大嘗祭に関する記事はこちらです。

 【明治天皇大嘗祭に新穀を奉納した『主基斎田』は関東から初めて選ばれた田んぼです】 

【明治天皇大嘗祭に献上された長狭米でつくった「日本酒」】

 

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