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【みんなみの里】蓮の花の命は四日間です | 古代大賀蓮の里

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2019/07/10


 長狭平野を中心にいろいろとご紹介している『里山きさっせぇ』というシリーズ、お楽しみいただいてますか。
 この「きさっせぇ」とは、この周辺の方言で「おいでよ」という意味です。
 今回は、毎年多くの人々を癒してくれる蓮の花をご紹介します。
 ぜひ里山へきさっせえ~よ。
 

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 今年、開花が遅れていた古代大賀蓮の花が咲きました。
 まだまだ満開ではありませんが、多くの葉も蕾も少しずつ水面に顔を出して呼吸をはじめ、すでに花としての命を全うし、種を育てる態勢に入った蓮もあります。


 この「古代大賀蓮」という名の由来ですが、1951年(昭和26年)千葉市検見川にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の遺跡から蓮の実が発掘されました。発掘された地層は古代の地層であり、調査の代表的な立場にいたのが、植物学者で蓮の権威者でもある大賀一郎博士だったのです。
 大賀博士は、発掘された3粒の蓮の実を発芽させようと試みましたが、2粒は失敗に終わりました。しかし、調査最終日に発掘された最後の1粒が生育し、翌年大きく見事な花を咲かせました。
 また、大賀博士は、年代を確定するために、蓮の実の上方で発掘された丸木舟の破片の測定をシカゴ大学に依頼。結果、2000年以上前(弥生時代以前)のものと推定されたのです。
 この蓮は国内外へと根分けされて、各地で美しい姿を見せています。


 このようにして広まった古代大賀蓮ですが、長狭平野(鴨川市北小町)でも古代蓮の栽培をしていた方がいました。稲作用だった大小5枚の田んぼを蓮の栽培専用に変え、長い間、美しい花を咲かせていました。しかし、大病を患い、蓮田の行く末が心配になり、鴨川市に寄付されたのです。
 このような経緯から、現在は誰でもが観賞できる蓮田となり、多くの方々を癒してくれているのです。


 ところで、蓮の花の命が四日間ということをご存知でしょうか。



 水面に顔を出した蕾が少しずつ大きく膨らみ、やがて蕾の先をほんの少しだけ開きます。これが開花一日目の状況です。
 二日目は、もう少し花びらを開き、まるでチューリップのような状態になります。
 三日目の状態が、蓮の花の一番美しい姿で、お釈迦様が座っている台座もこれに当たると思われます。
 そして四日目、一枚ずつ花びらを落とし、花としての命を終わらせるのです。


 花びらを落とした蓮は花托だけの姿となりますが、花托の中にいる種を大きく育てるために蓮田の中にずっと立ち続け、土の栄養と太陽の光を与え続けます。
 だんだんと花托が大きくなり中の種も大きく育つと、種の重さに得られなくなった花托が下を向き始めます。やがて花托から田んぼへと落ちた種は、翌年までの眠りにつきます。この種は古代から現代、さらに未来へと蓮の命をつなぐ大切な存在となるのです。


 古代大賀蓮の里に行かれる方にお願いです。
 専用の駐車場がありますので、お車はそちらに停めてください。
 また、長雨の影響で足元が大変悪くなっております。長靴などをご用意することをおすすめします。




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