Talk #03旅の終わりに、幸せを思う。

鼎談 2017.8.26 写真家/生物学者/デザイナー

ガラパゴスの旅も、まもなく終わろうという8日目。心地よい疲れの中、今回の旅を振り返りながら、最後の鼎談を行いました。繰り返し話題に上るのは、やはり「幸せ」のこと。ガラパゴスで見た自然や生き物たちからヒントをもらいつつ、語り合いました。

イグアナの指も、
人間の指も、
たまたま5本になった。

デザイナー {ガラパゴス}の旅も終わりを迎えようとしています。名残惜しいですが、体力的にそろそろ限界です。今日の撮影は霧雨のせいもあって、落ち着いた風景が見られた印象がありました。動物が幸せそうなたたずまいでしたね。{イグアナ}がいても、最後はもうイグアナを見なくなりました。

写真家 うん、やわらかいロマンチックな風景が見えた感じがしました。そして台無しなようですが、イグアナの脱力した足を見ていると、意外とカエルの足に似ているなと思いました。

生物学者 イグアナは顔で損をしていますよね。怖そうな顔じゃないですか。意外と一生懸命なところもあるし、けなげだなと思います。

デザイナー 顔も怖いし、背中はとげとげだし、愛らしいところはあまりない。でも、今日話に出ましたが、イグアナの手足も指が5本ずつあるのですよね。それが不思議だと言ったら、生物学者が、人類は魚類から来ているのだと。ヒレが5つの魚がいて、人間の指も5本になった。でも、なぜ5本かと聞いてはいけないのですよね。

生物学者 なぜは本当にわからないですね。4本でも6本でもよかったと思うのですが。

デザイナー フォークの歯は4本ですよ。ヘンリー・ペトロスキーという人が書いた{『フォークの歯はなぜ四本になったか』}という名著があって。この人は、あらゆる技術の進化というのは失敗の連続でできているという、独特の捉え方をしています。フォークの場合も、最初は何か棒切れのようなもので食べていたのでしょうが、フォークとナイフにあたる二つの道具を使うようになって、試行錯誤を経て今のような形に落ち着いた。フォークにすくう機能のない時には、ナイフが幅広になったり、逆にフォークのすくう機能が増してくると、ナイフは細くなったり……。フォークの歯も、2本だったり、6本になったり、フォークとナイフの役割が互いに作用しながら進化を続けて、今はほとんど全部4本になっているという話です。これも{オートポイエティック}な話です。生物学的にいうと、共進化でしょうか。これもひとつの進化ですね。

生物学者 今なら、フォークの横幅は人間の口の横幅に対応していて、その限られた範囲で、スパゲッティの麺の太さを考えるとこの間隔なのかなと考えますが、進化の途中では誰もそんなことは考えていません。試行錯誤の結果こうなっていて、一見収斂進化に見えても、答えがあるわけではない。生物もそうで、たぶん誰も答えはわかっていないのです。生物科学の失敗なんて山ほどあって、失敗は死屍累々の中に埋もれていったにすぎない。

デザイナー デザイナーの誰々がデザインしたカトラリーとか言いますが、フォークの歯を4本にしたデザイナーはいません。僕は、どちらかというと4本になってしまったことを認識することがデザインだと思います。でも、イグアナの指が5本だというのはおもしろいですよね。たまたま魚類のヒレが5つだったから、イグアナも人間も指が5本になって、だから10進法が主流になったのでしょうか。

生物学者 魚類が両生類になって陸に上がってきたの頃の化石を見ると、4本指のものも、6本指のものもあるのです。今5本指のものが残っているのは、必然だったのかたまたまなのかは、実は謎です。たまたま5本指だったから、われわれはそれを引き継いで、数字は10進法になってしまった。これがもし4本指だったら2進法に対応しうるので、われわれはもう少しコンピューターデジタルに馴染みやすかったはずです。もし6本指だったら1年は12カ月なので、天文学がもっとわかりやすかっただろうと思います。僕はデジタルが苦手なので、できれば4本指がよかったです(笑)。

ガラパゴスは、
性善説にあふれた島だ。

デザイナー 昨日、{アオアシカツオドリ}の飛び立つ決定的瞬間が僕のiPhoneで撮れて、大写真家が「悔しい!」と言ってくれました(笑)。それで思い出したのですが、日本で朝公園に散歩に行くと、リタイアしたおじさんたちがものすごい望遠レンズ付きのカメラを持って集合している。そのおじさんたちはみんな、池にやってくるカワセミを狙っている(笑)。しかし、あれは何か共感できる部分もあります。生き物が来て、枝に止まって生き生きしている感じを撮ることから、幸せをもらっていたのだと思います。定年まで働いた後で、自然の恵みに気づいてそこにはまり込んでいる。あの人たちを全員ガラパゴスに連れてきて、鳥を撮ってみてもらいたいと思った。そういうことが世界を変えるような気がする。

写真家 ガラパゴスの動物たちの態度は、すごく不思議です。僕らのような異質なものが近づいていっても、自分たちのままでいる。本当はいろいろ観察しているのかもしれませんが、僕たちにはそう見える。たぶん彼らのテリトリーだから、遠慮すべきはこちらで、彼らじゃないということだと思います。でも、その態度を見られるのは幸せなことですよね。普通は僕らが近づくと、動物は警戒して逃げてしまうし、餌付けしていれば逆に寄ってきてうるさい存在になってしまいますが、そうではない態度を見せられると、いろいろ考えさせられますね。

生物学者 そこまで人を恐れないというのはなかなかないと思います。私も長い間、自然界というのはどちらかと言うと性悪説、「人を見たら敵と思え」だと思っていました。ただ、それは違うなと思ったのは、南極のペンギンを見たとき。あれは人を恐れていない。向こうから寄ってくる。それぐらいかと思っていたら、ガラパゴスがまさか、こんな性善説にあふれた島だとは想像していませんでした。{ツグミ}が自分から寄ってくるのですから。

写真家 そうですね。この間の{コバネウ}には、2mぐらいまで接近しました。こちらが透明な存在のように、彼らに映っていないのかと思うぐらいにくつろいでいる。その幸せ。僕らの行為によって反射的に態度を変えられてしまうと、やはり僕らが相手にとって邪魔な存在なのだと感じてしまいます。僕は本来、透明な存在として、そのまま撮りたいと望んでいるんです。

写真はいつも、違和感との闘いです。左からカメラを向けられただけで、見られているなと思った瞬間、もう左側の皮膚は、いつもの皮膚ではなくなってしまう。それは動物が相手でも、人が相手でもそうです。「あっ」と思って近づくと、それがすっと消えてしまって、そうでないものに変わってしまう。変わらないのは風景ぐらいです。普段は、それをゆっくりどけていく作業をするのですが、ここではそれが必要ない。あのようにすっと対象に近寄れることは、僕にとっては幸せでした。

デザイナー カメラ圧というのがあって、それで皮膚が歪んでしまうのでしょうね。エクアドルやガラパゴスの人たちが守ろうとしているのは、生物学的な生態系のバランスだけではなくて、あの感じに打たれたのだろうと思います。やはり、人を全然恐れていないことに衝撃を受けますよね。

生物学者 コバネウは飛べないので、ただでさえ警戒心が強いだろうに。ましてや巣に近づいているわけですから、普通は威嚇してきますよね。

写真家 動物として命を守ろうとしないなんて、考えれば考えるほどありえません。巣の中で子どもが孵っているわけだから、変なものが近づいてきて、何かするのではないかと思うのが自然だと思うのですが。

生物学者 本当に性善説の島ですね。物理学だと{観測者問題}と言って、見ることによって対象物の運動や位置が変わってしまいます。それは物理学に必ずついて回るもので、われわれは宿命だと思っている。つまり絶対にありのままは見られないのだということ。ここはそれを超えていますね。撮影で、スケジュールに「シューティング」と書かれていましたが、だんだんそれに違和感を覚えてきました。シューティングというのは、一瞬の隙を突いてチャンスをつかまえるということですが、ここでは逆です。お釈迦さまの掌の上で「がんばれよ」と言われている感じ。

写真家 そうですね。全部見せてやるからちゃんと撮ってねという感じです。

デザイナー 全部与えてくれるのですよね。かつて{ゾウガメ}が何万頭も食べられてしまったわけですが、それもたぶん逆らわず、黙々と運ばれていったのだと思います。だから、圧倒的な贈与に対する呵責というのが、今のこの場所を作っているのではないかと。反撃は何もなくて、あるとすると、与えすぎてなくなってしまうということしかない。進化論という生物学的な功績もありますが、やはりそのままのバランスが持続している場所が、残っていたという感じもあるのでしょうね。自然はずっと生み出し続けてくれる。いくら取ってもいい。だけど取ってしまうといとも単純に減る。

一瞬かもしれない、
喜びの風景。

写真家 仏の掌の上という話がありましたが、どうぞ、あなたの好きなように生きなさいと言われている感じですよね。今日も{アシカ}の親子が2組いて、水たまりでお兄ちゃんアシカが偉そうに泳いでいて、まだ泳ぎが達者でない赤ちゃんがちょっかいを出している。人の世界でもよく見る風景ですが、僕には喜びの風景のように見えました。彼らだけでなく、{ペリカン}も羽を広げてゆったりしていたり、{カニ}がその近くにいたりして、まさに極楽のようなものを見ているのではないかと。ガラパゴスという場所では、こんなことがありえるのかと思いました。アフリカのサバンナでも見られない。

生物学者 あのペリカンも岩礁の上にすっくと立って、孤高の雰囲気を漂わせるまでは、子煩悩なやつでした。ひながお腹が減ったというと低空でダイブして、餌をあげていた。

デザイナー それを幸せと見立ててしまうのは、人間の勝手かもしれませんが。

写真家 でも、人間でなくても、子どもが元気で一緒にいられるというのは、幸せな時間ですよね。一瞬かもしれませんが。あの後で海に入ると、シャチがひゅっと来て、食べられてしまう可能性は十分ありますよね。

デザイナー 昨日のシャチがアシカを追いかけるシーンは衝撃的でしたよね。シャチはまるで遊んでいるようでした。アシカは懸命に逃げていましたが、もう運命が決まっているわけでしょう?

生物学者 自然の理(ことわり)とはいえ、私がアシカだったらもう逃げません。それから、体温が下がって、海から上がらなくてはと思っているウミイグアナをアシカがもてあそんで上げさせないというシーンもありました。

デザイナー そういう過酷さも含めて幸せということでしょうか。

人間が生き残って
いくための知恵。

デザイナー 人間は、科学や哲学、思想や技術を生み出してきましたが、それでどうよくなっているのでしょう。技術の進展はあっても、生身の人間の進化は停滞しているように感じます。富の偏在を生むような社会ではなく、みんなが互いを配慮することや、環境を傷つけないことに知恵を使えばいいと思うのですが。生物学者は、科学的な立場からどう思われますか?

生物学者 進化論的に言ってしまえば、進化というのは2段階に分かれていて、最初はランダムです。次に、環境圧や競争圧の中で、選択淘汰や比較優位によって方向づけがなされます。ガラパゴスには後者が欠けている。突然変異でランダムに形が生まれて、そのまま生きている。だから、進化論の聖地のくせに、ここは進化的ではないなと思います。通常の環境では、他者との比較の中で自然に競争が生まれる。進化論的には、裏切りもだましも、警戒も攻撃もありなのです。自分の遺伝子が残ればいいのですから。でも、そういったダークサイドがここにはない。そこに違和感を感じているわれわれにとっては、ガラパゴスというのは聖者の島だなと。

デザイナー 競争がないということですか?人間の社会は、そうした競争がすっかり制度化されているように感じます。人間はもうそろそろ滅びはじめているのかな、と感じることはありませんか? 人類が誕生して何年でしたっけ。

生物学者 {ホモ属}の始まりからずっと含めると、300万年です。{ホモ・サピエンス}が発生して20〜30万年。生物学的には、ホモ・サピエンスというわが種属は、衰退期に入ったと言われています。人類の繁栄の基盤である知性と感性が、もう峠を越えてしまった。でも、衰退期に入るということは、あとは種として粛々と絶滅を迎えるか、突然変異が起こって新種へ移行するかのどちらかです。

デザイナー {人工知能}を作ったことで、変異への移行が加速しているかもしれません。今は、人間が機械を作って環境を変えるという段階ではなく、機械によって人間が変わっていくという段階に入ってきている気がします。

生物学者 種属として人工知能に頼りながら、生物進化とは違った形で進化していくということはありえるでしょうね。文化進化とか、IT進化とか。ホモ・サピエンスの発生から今まで、その時間の99.9%は非文明です。文明が発達したこの5,000年というわずかな時間で、われわれは一気に衰退したというのが最近の定説です。われわれは文明によって生物学的には衰退期に入った。失ったものの代わりに得るものはあったでしょう。それは文化です。でも、われわれの文化は今、ダークサイドが幅を利かせている。しかし、ここには本当にダークサイドがありませんよね。

写真家 本当にそうですね。今、いいものを見せてもらったなという後味が残っています。

デザイナー 今日は自分で、波打ち際の写真をたくさん撮りました。昨日の鼎談でも話しましたが、やはり宇宙と私の波打ち際に、自分が生きている証として形を成そうという気持ちが、ものを作らせているのだという気がするのです。デザインというのは本当に罪深いことだと思います。でも、デザインしないとは言いたくない。デザインするということは、人が意志を持って生きているということだから。やはり環境を変えながら生きていくのが人間の宿命だと思うので。自分たちの生命を輝かせるために、何かを作りたいと思う。そのときどういう方向を目指せばいいのかというのは、常に考えます。今回は、自分の考える美しさの尺度と、自然の生命の輝きの尺度が同調できるかもしれないという希望が見いだせた気がします。

生物学者 人間は、世界に働きかけて変えていかざるをえない生き物です。人間は今、地球上の生態系を全滅させうる影響力を持っています。そんな人間が「私たちっていていいの?」という声を発してしまった。ガラパゴスの生き物たちは「いいよ」と軽く言ってくれる。でもそれは、人間がきちんと守らないと、あっという間に滅びてしまいます。

写真家 まさにそうだと思います。人がむき出しの態度で入っていくと、一瞬のうちに壊れてしまう。でも、人も彼らと同じ、この幸せの風景を感じることができる生き物なんだから。今後どうしたら、彼らと共に生きていけるのか、自分たちも幸せを甘受できる環境にしていけるのか。ここにヒントがある感じがしますよね。

デザイナー そうですね。科学のように検証可能なことではありませんが、人間がバランスよく生きていくための知恵というのがきっとあるんだと思うんです。そういうことを探してみたいなと思います。今日は自然に話せた気がして、よかった。ありがとうございました。