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原研哉Visualize the philosophy of MUJI

無印良品とは、単なる製品を超えたひとつの思想です。「豪華に引け目を感じることなく誇りをもって簡素であること。」「無駄を省いていくことによって、豪華なものよりもっと素敵に見える。」といった、グラフィックデザイナーの田中一光氏が提案した考え方を引き継いでアートディレクションを担当しています。このような思想を広げていくために、たくさんの言葉を費やして説明するのではなく、「無印良品に触れた人が自然にその思想に気がついてくれる。」というコミュニケーションを目指しています。それらをどのように作ってきたかを、いくつかのテーマでお話したいと思います。

最初は「空っぽ」という考え方です。「シンプル」とは、西洋の近代主義から生まれてきた、合理性にのっとったものの形の考え方のことです。しかし、日本の伝統の中にある「簡素」は、それとは少し違い、ユーザーが関わることで生じる様々な自由や状況を受け入れてくれます。そんな懐の深さを、私は「空っぽ」=エンプティと呼んでいます。無印良品は基本的にそういう「エンプティ」なものです。例えば脚付マットレスというベッドは、ソファにもなるし、寄せ集めれば床にもなるかもしれない。そういったユーザーの自由自在な使い方を保証してくれる状態を「エンプティ」と呼んでいます。ただし、それを言葉で説明するのではなく、ユーザーが見た瞬間に、感じたり、目覚めてくれるようなビジュアルを考えています。

2003年に制作した新聞広告は、地平線を撮影したもので、そこには地球と人間しか映っていません。これは何かメッセージをするというより、無印良品とは何かをユーザーが自由に感じ取って解釈できるという、無印良品のあり方を考えながら作ったビジュアルです。この広告を作ったことは、自分にとっても無印を考えるとても大きなヒントになりました。世界のブランドが、人々に「これが欲しい」と思わせるような広告を作っている時に、無印良品はむしろ「空っぽ」の情報を出していく。そういうスタンスが、この地平線の広告から始まりました。

これは銀閣寺にある、室町後期にできた日本初の和室空間と言われている同仁斎で、そこに現代のMUJIの茶碗を置いています。当時始まった「簡素簡潔」「空(くう)」「空っぽ」という美意識を称揚する日本の文化と、現代の無印良品が通じていることを表現する広告です。簡素簡潔が素晴らしいと感じる日本の文化は、西洋のモダニズムよりもだいぶ昔に始まっていて、そこに無印良品のルーツがあると気が付いたわけです。今はグローバルの時代ですが、自分たちの文化の底に、世界に通用する価値の資源があると気が付くことはとても重要で、それを意識することで無印良品独特の写真や表現のトーンとマナーができたように思います。それは、単に製品を真正面から撮るということではありません。ユーザーに、「あなたが自由にしてください」と、それぞれの生活の文脈にすべてを委ねていく。無印良品独特の商品の表現はそのような背景があると思ってください。

2つ目は「自然」です。これは2008年に制作した、料理をしたり、羊毛を紡いだりしているような、ものを作る人の手をテーマにした広告です。

このラフスケッチは、働く人の素の手というのはとても美しいなと、そんな風な気持ちで描きました。「やさしくしよう」というコピーの「やさしく」には、誰かに優しくするとか、簡単にするとか、色々な意味があります。このコピーにも多義性があり、自由に解釈できるようになものになっています。

次の広告には、「しぜんとこうなりました」というコピーが入っています。これはプロダクトデザイナーの深澤直人さんがデザインしたベッドと椅子ですが、背もたれの意味を考えると、ベッドも椅子の背もたれも自然と同じ角度になったという意味です。無印良品とは、ある目的に合わせて一直線に物事のいらないものをそぎ落としていき、自然と必然的な形にたどり着くということであると伝えています。

これはデザイナーのジャスパー・モリソン氏がMUJIのためにデザインした、モールド成形したクッションが入っているソファです。普通のソファとは違う非常に簡潔な方法で製造したソファで、無印良品が考えると、広告もこれくらい簡潔になるというメッセージも含まれています。これも深澤直人さんの着想で、駅にある時計をそのまま採用してしまうというものですね。これは森正洋さんがデザインした、無印良品の和と洋の食器シリーズです。こういう風に無印良品のプロダクツを見つめていくと、自然とあるトーンが見えてきて、広告や写真の雰囲気を作り始めました。服飾やグラフィック、コミュニケーションにも共通して言えるのですが、無印良品はトレンドから距離を置いています。流行にすり寄っていくとすぐに古くなってしまうので、いつ作ったかわからないぐらいに流行からほどよい距離を置くことが肝要です。

2014年の広告は、アイスランドでロケを行いました。地殻変動で海底から隆起した陸地がそのままむき出しになったような、非常に荒々しいけれども美しい自然を持った場所です。そういう場所で、無印良品の服を着た女性の写真を撮ってみたいと思ったのです。モデルには、一人の女性ではなくて、おばあさんからお母さん、娘、つまり三世代くらいのファミリーを探しました。この写真を撮っている時、彼らが鼻歌を歌い始めたのですが、それが素晴らしかったので、そのまま動画を撮って広告にしました。これは僕らが演出したものではなく、彼女たち自身が無印良品の雰囲気を感じてリアクトしてくれたもので、目の当たりにした僕はとても感動しました。

3つ目のテーマは「家」です。地平線を撮った次の年、直感的に家を撮りたいと思いました。2004年の広告はモロッコとカメルーンで撮っています。無印良品とは、生活や暮らし方の哲学を提供するブランドだと考えていたので、そこに触れてみたいという衝動から地球の果てに家を撮りに行ったのだと思います。田中一光さんが無印を始められた時の商品数は40アイテムぐらいだったのですが、この広告をやり始めたときには5000アイテムくらいに増えていて、それだけの製品が集まれば、「くらしの形」を表現できると考えました。しかしそれは、無印良品を集めて「家」という製品を作るという意味ではありません。むしろ「家」をバラバラに解体して自分自身で再構築できるような、優れた生活リテラシーを持った人たちを無印良品は応援できるのではないかと考えたのです。無印良品の製品が集積することで、「生活OS」のような、生活を成り立たせる背景となるシステム、あるいは思想や美学のようなものを生み出し始めたと考えています。有楽町や上海の旗艦店くらいの規模のお店を見ると、製品一つひとつではなくて、くらし全体を創造してしまうくらいの力を持つようになったと感じます。出来合いの家を買うのではなく、自分の生活スタイルにぴったり合わせて編集できる、そういう能力を持った人をたくさん育てることが、無印良品のお客様を育てることになると思っています。

これは10年ほど前の広告です。日本では戸建ての家を買うことから、中古物件をリノベーションするという作り方が始まった頃でした。「家の話をしよう」というコピーと、床、壁、天井が全部剥がされたようなシーンをビジュアルにして、お客様と「家の話をしませんか」ということを始めました。今では無印良品自身も「家」という製品を作っています。さらに、「インフィルゼロ」という、家をゼロに戻すためのサービスや、公団と一緒に団地を改修して一般の人に提供したりと、家に関わるさまざまなプロジェクトも動き始めています。それまで日本の人たちは、家というと出来合いのものを買っていたので、生活スタイルが違ってもみんな同じような家に住んでいました。でも本当は、何でも好きなようにできるんですね。無印良品は、そういう状況を応援できるわけです。

僕は、無印良品が、植木や照明器具、ソーラーシステムやお風呂やベッドなど、家のこと全部をワンストップで買えるショップになると素敵だなと構想していました。これは、無印良品の仕事をやりながら発想した「HOUSE VISION」というプロジェクトです。ここでは無印良品だけでなく、日本をリードするいろんな企業と建築家がコラボレーションして、見たことがないような暮らしの形が提案されました。新しいテクノロジーや創造性によって、いろんなものが日本から生み出されていく状況ヴィジュアライズしてみたわけです。

若い人たちだけではなく、50代、60代、70代ぐらいの人たちに向けたマーケットで、家はとても大きな商材になると感じています。日本の伝統的な住まいの形も、未来型として再検討する可能性があると思います。このHOUSE VISIONで、無印良品は建築家の坂茂さんとコラボレーションした「家具の家」を提案しました。天井を支える構造体が全部家具でできていて、壁や柱がなく家具が天井を支えているので無駄が全くないという家の考え方です。無印良品では、製品の大きさが全て連関し合う「モジュール」という体系ができ上がっています。そのモジュールと、家具の家の考え方を組み合わせると、非常に無駄のない簡潔な家ができるわけです。あくまでもこれはコンセプトを伝える演技のようなものですが、無印良品の可能性を表現するひとつの方法として、この家が展示されました。

これは、30年ぐらい前に作られた公団住宅のリノベーションを無印良品がお手伝いして、再利用していく家の作り方を示すものです。無印良品で全部まとめたほうがいいというわけではなく、お客様自身で自分の生活を生み出すことを無印良品がお手伝いできるということです。自分のライフスタイルに合った家を構想できる能力が身に着くと、生活がとても楽しくなりますし、無印良品にやってくると、あらゆるものを見てドキドキできるようになります。

それから4番目は「水」です。「水は方円に随う」という中国の言葉があるように、水は器の形に合わせて自在に姿を変えることができます。無印良品のお店が世界中に広がってきたある年に「水のようでありたい」というメッセージを作りました。それは、何かを主張して無印の色に染まってくださいというのではなくて、あなた方の文化の中に知らないうちに入り込んで、必要不可欠なものになっていたい、という意味合いがあります。

これは、都市をコップの水に映しこんだ写真で、背景の都市のシルエットが水の中に結像しているものです。MUJIが出店するごとにその土地にグラスを持っていき、こんな写真を撮っています。それをお店にどんと据えながら、「水のようでありたい」というメッセージを、さりげなく伝えているつもりです。

これは、無印良品が世界中にあることを伝えた企業広告です。世界中のいろんなところにMUJIのショッピングバッグを置いて、MUJIの存在があるよということを伝えています。この雑誌広告では、無印良品の製品の品質を、できるだけ「水のように」、自然なトーンで説明しています。写真もコピーも、言いたいところだけにポイントが当たっている。それできちっと広告が成立するのが、無印良品のメッセージだと思います。

これは、畑で採ったばかりのパセリをその場で撮るというやり方で作った、Café&Meal MUJIのモノクロームの広告です。くどくどコピーはなくても、お店に大きなビジュアルをどんと据えるだけで何か感じてもらえる。野菜のいきいきした雰囲気を感じながらご飯を食べてもらいたいという考え方で作っているものです。

最後に、「地球」という話をします。無印良品はいつも、家や靴下など生活のディテールについて考えているわけですが、企業広告はできるだけ引いた目で、地球規模の視点でくらしを見ることを考えています。2年ほど前に、地球を見回すとアルパカという動物がペルーの辺りに見えました。南米のアンデス山脈の上の方に生息している、昔のまんま、いろんな色をした動物です。無印良品はその原毛を使って製品を作ることを始めました。そこでくらす女性たちは、アルパカの毛を紡ぎながらセーターや手袋、ソックスを編んでいます。その光景がとても美しいんですね。その美しさを素直に写真に撮って、広告にしています。

地球と素直に付き合っている人たちの風景というのはとても重要だなと思います。
2003年、僕はボリビアに陸と空の境界を撮りに行ったのですが、今度は、海の中と陸と空をいっぺんに撮ってしまおうと考えました。最近はカメラがすごく進化して、解像度も素晴らしく、歪まずにワイドに撮れるものができました。これを、海の中でも使えるようにプロテクトして、半分レンズを水の中に入れて海の中のサンゴ礁を撮り、半分は陸のほうを向けて撮影しようと思ったわけです。

この写真はインドネシアのラジャアンパッド諸島という場所で、インド洋と太平洋が出会う、生物の多様性が世界一だと言われている海域です。海の中にも森のようなサンゴ礁があって、それがそのまま続いて山の森になっています。水の中には、本当に花が咲いているようなサンゴがあり、これに僕は感動しました。誰も見ていないところに、こんな花が咲いている。まったくライティングをしない海の中というのはこんな色をしているわけですが、それを無印良品は、これが「地球の色」です、と皆さんに差し出しています。無印良品はこのように地球のことも見ながら、それをお手本にして考えていきますというメッセージです。

この写真を使って、上海の看板も作りました。これだけ大きい写真が看板になっているのは上海の旗艦店だけなのですが、しっかりと定着できていることに、とても感動しました。

以上のように広告で作ってきたようなメッセージを、小池一子さんに編集をしていただいて、僕がアートディレクションを担当して、本を一冊作りました。これは素(そ)、手(しゅ)、時(じ)、然(ねん)という、4つの言葉が配されたタイトルの本です。

「素」というのは「まんま」であること。「手」というのは人間の営みや、手でつくるという率直な意味もあります。「時」というのは時間そのもので、過去の歴史もあれば未来もあります。「然」は自然の然ですね。この本は、実は「素」「手」「時」「然」という4つの章から成り立っています。世界中の書物から集めた言葉と写真を組み合わせることで、新しいイメージを作り出そうとした本です。小池さんと僕で、ああでもないこうでもないと、おびただしい取捨選択をしながら言葉を選びました。その言葉の意味と写真は特に関係ないのですが、それを一緒に眺めていくことによって、ふつふつといろんなアイデアが浮かんでくるという、そんな書物です。ある意味では、この書物は僕がやってきた広告と同じようなことで、「無印良品の思想とは何か」ということを考え続けるという、とても大きなコミュニケーションのひとつなのです。今日は、無印良品のコミュニケーションを作っていくというのはどういうことか、今までどういうことをやってきたかを伝えたくていろんなものをお見せしました。たくさんのものを売るとか、明確にセールスの実績を上げるという役割だけを担っているわけではないので、実際どういう風に役に立っているのか僕自身もよくわからないのですが、そういうよくわからないことを皆さんに投げかけて、僕のプレゼンテーションにしたいと思います。無印良品の広告というのは、「答え」を提示するのではなく、いい「問い」を投げかけていくことなので、今後もそうありたいと思っています。

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