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【広島アッセ】駅前さんぽ(七福神めぐり・布袋尊編)

キービジュアル画像:駅前さんぽ(七福神めぐり・布袋尊編)

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2019/09/24

こんにちは。

今回で、『二葉山山麓 七福神めぐり』も最後となりました。
スタート時は、夏真っ盛りでしたが、もう秋の気配を感じられる季節になり、時の流れの速さを感じています。

七カ所目となるお寺 聖光寺(布袋尊)へ行ってきました。

前回の國前寺から、徒歩で約5分の場所にあります。


聖光寺(しょうこうじ)
聖光寺は、山号を洞景山と称し、広島県下唯一の曹洞宗大本山總持寺元輪番地です。応永元年(1394)賀茂郡豊栄町に、悦堂常喜禅師を開山として開創。七堂伽藍を配し、塔司12ケ寺を擁する大寺院でした。二度の火災において焼失し、寛永元年(1624)現在の広島市中区小町に移転、寺基を定めました。昭和20年8月原爆で全堂宇を焼失。昭和50年(1975)現在地の湍川寺と合併し、寺号を聖光寺として再出発しました。「湍川寺」は、広島で最も古い寺の一つ。かつては吉田町にあって、山号を万松山と称していました。創建は不明。住職の明室周尊和尚が、毛利元就親子より厚くもてなされ、その縁で孫の輝元が天正17年(1589)広島城を造営するため広島に来て、明星院山(現在の二葉山)に登り検分した際、この寺に泊まり、五箇ノ庄(箱島、在間、平塚、鍛冶塚、広瀬)などと呼ばれていた地名を広島に改め、広島山の山号を贈ったと伝えられ、現在の山号となっています。菅原道真公が九州へ下向する道中に立ち寄り、「水を掬す瑞川の流、月を弄す二葉の里」の詩を残したといわれ、二葉山、瑞川寺の名称の起源とされています。

それでは、ご案内をはじめますね。

入るとすぐに、布袋尊の像がありました。
ー布袋尊ー
布袋尊は、中国の唐代の禅僧契比と伝われ容貌は福々しく大きなお腹を露出し、何でも聞いてくれそうな大きな耳、そして常に袋を担っています。私たちを悩ます限度を越えた欲望を退け、勤勉に心掛ければすべてを包容し、和合成功をかなえて下さいます。

いつも通りお浄めを済ませて、広ーい敷地を巡りました。

稲荷神社

六地蔵尊

蓮華鉢

本堂でお参りを済ませました。

少し上を見上げると、、黄金の観音像が見えたので、行ってみることに!


上って行くと、鐘撞堂があり、その上に光輝く観音像がありました。


目の当たりにして、とても良い事が起こりそうに思えましたよ。


『二葉山山麓 七福神めぐり』は、今回で終わりとなります。
広島駅の近くに、こんなに神社やお寺があるなんて、驚きました。
原爆の被害をうけた被爆建物や松の木、国の重要文化財になっている建物を近くで拝見できた、とても良い機会となりました。

皆様もぜひ『二葉山山麓 七福神めぐり』をさんぽしてみてはいかがでしょうか。

 

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