無印良品 京都山科では先週、小説家の山下澄人さんをお招きして、新刊『わたしハ強ク・歌ウ』の刊行記念トークイベントを開催しました。
聞き手には、詩人の山内さん、担当編集の岩本さんにもご登壇いただき、当店のスタッフSも交じってのトーク。ただでさえ熱望していた山下さんとのイベントなのに、そのうえ自分も人前で話すという緊張で、当日どんな話が展開されたのかほとんど覚えていなくて、後日記録していたものを見返しました。
土曜日の午後の店内はとてもにぎやかで、序盤は気もそぞろになりお話する人の声に集中できない雰囲気だったんです。そのことを山下さんはOpen MUJIのような主音と雑音がおなじ強さである場所で話すことは、『わたしハ強ク・歌ウ』にも重なっていると話してくれました。
それがきっかけだったか、どうかいまではわかりません。会場にいるひとたちの意識みたいなものが起き上がって、場の空気が変わったように感じたことを覚えています。からだがその場にノッていくあの感覚は、知らなかった自分の部分がひらいたような気持ちがしました。
『わたしハ強ク・歌ウ』は内容というよりも単純に文章がすごいおもしろくて、気づいたらたのしく読んでたとか。口に出して読むことのたのしさとか。
小説でも詩でも俳優でもそれをやるという動機があって、その熱量があればまったく違うところから伝わることがあること。
「もしかしたら俺らは内容じゃないとこに反応してんねん」ってこと。
途中、山下さんが「人が書いたものなのに、リズムやテンポみたいなものが自分の感覚に重なったときにすごい不思議な気分になる」と山内さんの詩集『きせつきせつ』の詩を朗読してくれました。朗読し終わって「めっちゃ良くないですか」と山下さん。山内さんの詩は読んでいると明るい気持ちになります。
わたしたちの周囲には誰が決めたわけでもないのに、ほんとうは自由なのに、こうあるべきとか、こうしたほうがいいとか、型のようなものが溢れかえっています。自分もその型にはまっていて、気づかずにいることさえある。
それは小説を読むときも同じで、“誰かが何かをした”がわからないと読み進められないというのは「俺たちにかけられた呪い」だと。
山下さんの小説はそういうものから解いてくれます。『わたしハ強ク・歌ウ』を読むと誰かと話したくてたまらなくて、自分もなにかを書いてみたくなる。読んだり、感じたり、考えたりすることは頭だけじゃなくてからだ全体ですることだと気づかせてくれます。なにが伝えたいのかというとめっちゃおもしろいってことです。
イベント後は参加者さんとみんなでお茶会。
それぞれ居合わせたひと同士が自分の活動や本について話していて、これまでの当店にはない不思議な光景で、こういう場所がもっとあったらいいなと思いました。
今回のお話会もそれぞれが持つ熱量がいろんなかたちでまじりあい、呼応しあって、出会って、山下さんをはじめみなさんの言葉が生まれたんだとしたら、それはすごくうれしいです。
イベントに来てくださったみなさん、ありがとうございました。
1階MUJI BOOKSコーナーでは山下澄人さんサイン入りの『わたしハ強ク・歌ウ』を販売中です。この機会にぜひ手に取ってみてください。また、大垣書店高野店では6月中旬ごろまで、山下澄人さん選書フェアを展開中です。合わせて楽しんでくださいね。
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