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【みんなみの里】キャラメルのルーツは嶺岡牧から

キービジュアル画像:キャラメルのルーツは嶺岡牧から

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2018/08/23

 現在、多目的スペースに於いて、写真展「嶺岡牧の世界~白牛を最初に放牧した地~」を開催していますが、8月19日(日)には、嶺岡牧を知ってもらうため、「嶺岡牧再発見~キャラメルのルーツ~」と題して講演会がおこなわれました。
 お話してくださったのは「嶺岡牧を知って活用を考える会」代表で、嶺岡牧研究の第一人者である日暮晃一先生です。
 日暮先生は、ねむっていた文書をもとに、現地を実際に歩いて嶺岡牧を見出しました。

 

 かつて、みんなみの里テラスから見える嶺岡の山々では、大昔から野生の馬がいました。
 その山の中に牧場をつくり、これらの馬を管理しはじめたのは、少なくとも平安時代、これが現在も嶺岡の山にある遺構、嶺岡牧の始まりです。

 その後、江戸幕府が引き継いだものの、その後の時代背景や度重なる大地震などによって、壊滅的になっていた嶺岡牧の再興をはじめたのが、暴れん坊将軍で知られる八代将軍徳川吉宗です。
 吉宗が嶺岡牧に白牛を入れたことにより、搾乳はもちろんですが、搾りたての乳から現在のキャラメルのもとである「白牛酪(はくぎゅうらく)」がつくられました。
 別名「醍醐(だいご)」とも呼ばれる白牛酪は栄養価が高く、はじめは武家などの上流階級で独占していましたが、庶民を健康にすることが日本の発展につながるとして、江戸の町に広まるようになりました。
 これらが、嶺岡が日本酪農発祥の地といわれるゆえんです。


 
 ちなみに、醍醐とは “もっともおいしい味”  “最上級” という意味でつかわれることもあります。

 長狭平野には、のちの各乳業会社があちこちで生まれ、とくに、みんなみの里近くの牛頭橋付近には、かの有名な森永乳業が誕生しました。
 やがて長狭を去って新工場で出発した森永乳業は、ミルクキャラメルを発売。
 明治40年に上野公園でおこなわれた東京勧業博覧会への出展の際、それまでのブリキ缶入りのキャラメルに変わり、紙製の入れ物に入ったキャラメルを販売したところ、爆発的な人気を得ました。
 これが、現在の黄色い箱に入っている森永ミルクキャラメルの誕生の瞬間です。

 これは、日本の乳製品が、嶺岡牧を背負う長狭平野から生まれたといっても過言ではないかもしれません。
 ぜひ、写真展でも確認していただければと思います。

 

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