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【みんなみの里】不動明王の伝説「大山寺」 | 里山きさっせぇ

キービジュアル画像:不動明王の伝説「大山寺」 | 里山きさっせぇ

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2019/02/13

 新たに始まった『里山きさっせぇ』シリーズ。
 この「きさっせぇ」とは、この周辺の方言で「おいでよ」という意味です。
 折に触れて鴨川を中心に周辺のご紹介をしていきますので、ぜひ里山へきさっせえ~よ。
 

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 今回ご紹介するのは、地元の名刹『大山不動尊』についてです。

 長狭平野の西方、大山地区の高台に鎮座し、東を向いて平野全体、さらには海をも見守っていてくれる、地元にとって大切なお寺です。
 正式な名前は「高蔵山 大山寺(たかくらさん おおやまじ)」といい、神亀元年(724年)に良弁僧正(ろうべんそうじょう)により創建されたといわれています。ご本尊は不動明王座像です。
 じつは、大山詣りで有名な相模の大山寺よりも先に創建されています。
 また、大山寺の上方にある「高蔵神社」も、同年、大山寺とともに創建されました。
 
 伝説によりますと、京都から東国へ向かっていた良弁僧正が相州(現・相模)の大山に登った時、東の方向に紫色の雲がたなびく不思議な現象を見ました。その現象にただならぬものを感じた良弁僧正は、その場所を探す為さらに東へ向かい、二日かけてたどり着いたのがこの山(現・高蔵山)でした。
 良弁僧正が高蔵山にあった大木の傍らで念ずると、たちまち辺りに彩雲が漂い、その中から不動明王が現れてこう言いました。
  「これより東南に当たって、われ住むべき山あり。必ず形像を安置せよ。」
 それが、現在大山寺のある場所だったのです。
 
 そして、不動明王像をつくるために、嶺岡山系の二ツ山の麓にあった古木を伐ろうとした時、その古木が突然激しく鳴り続けて止まらず、手をつけられない状況になりました。そこで良弁僧正は、どんな時でも水が枯れることがないといわれる「いさきの池」の水をお神酒として供えて念じると、先ほどまで激しく鳴っていた古木は嘘のように静まりました。その霊験あらたかな古木のおかげで、大山寺の大伽藍を建立できたと言われています。

 ふだんは、本堂の中にいて見ることのできないご本尊ですが、元日と節分にはご開帳され、不動明王像の顔を見ることができます。先日おこなわれた節分の際、多くの皆さんで境内はぎゅうぎゅう詰めでしたが、その方々も本堂に入って不動明王像をご覧のようでした。
 大山寺では、毎月28日に本堂にて金本住職による護摩供もあります。ご祈願やお浄め事がある方は、ぜひ行ってみてください。



 また、高蔵神社の向かって左奥の森の中に良弁僧正の碑があり、碑の裏側(西方)からは、条件が良ければ遠くに富士山を見ることができます。

この地に来るまでのことを思いながら、良弁僧正は富士山を見ているのでしょうか。

 


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