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【みんなみの里】桜舞うお稚児行列『鏡忍寺 開山会』 | 里山きさっせぇ

キービジュアル画像:桜舞うお稚児行列『鏡忍寺 開山会』 | 里山きさっせぇ

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2019/04/13


 新たに始まった『里山きさっせぇ』というシリーズ、お楽しみいただいてますか。
 この「きさっせぇ」とは、この周辺の方言で「おいでよ」という意味です。
 今回は歴史的な場所と稚児行列のご紹介です。
 ぜひ里山へきさっせえ~よ。
 

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 一昨日4月11日は『小松原山 鏡忍寺』の開山会が開かれ、これに合わせてお稚児行列もおこなわれました。



 毎年恒例の行事で、着飾った7人の子ども達が『上人塚』から『鏡忍寺』まで僧侶と信徒の皆さんと一緒に歩きます。
 鏡忍寺も上人塚も日蓮上人の「小松原の法難 ※」が由縁の場所です。




 午後1時、上人塚での読経終了後、稚児行列が始まりました。
 冷たい風が吹き抜ける中、お稚児さん達は着ている衣装の裾や袖を強く揺られながらも、頑張って歩いていました。



 青い空の下、時折どこからか舞ってきた桜の花びらと、お稚児さんのきらびやかな衣装が映え、その行列に気づいた周辺の方々が続々と家から出て来ていました。





 お稚児さんにとって晴れの舞台ですから、親御さん達も一緒に歩きながら写真を撮りまくり、その親御さんに気づいたお稚児さんが笑顔を向ける様子はとても微笑ましいものでした。




 およそ30分ほどで鏡忍寺に到着、境内に入り、



 鬼子母神降臨の槙である「降神槙」の前を通り、




 祖師堂を横目にしながら歩き続け、



 本堂にたどり着きました。




 大役を終えたお稚児さん達は、本堂の前に並んで記念撮影です。この時の、カメラや携帯を持って一気に押し寄せ、撮影する親御さん達の勢いはすごいものでした。


 ※
 「小松原の法難」
 故郷の小湊に戻った帰りに、蓮華寺(現・鴨川市花房)にて布教活動を行った日蓮上人は、文永元年11月11日、次の訪問先である天津城へと向かっていました。
 花房から天津に向かう道筋に、かねてから日蓮上人を憎んでいた東条景信が待ち伏せをしており、弟子を連れた日蓮上人が小松原にさしかかった時、東条氏が急襲したのです。
 多くの家来を連れた東条氏に対し、このとき上人の弟子は10人ほどで、しかも役に立つものは4人ほど。その弟子の鏡忍坊が松の木を引き抜いて振り回し応戦しましたが討たれ、他の2人も負傷しました。
 この時、襲撃を聞きつけた天津城主の工藤吉隆が駆け付け、日蓮上人は傷を負いながらも難を逃れることができましたが、この戦いで工藤吉隆は討ち死にしてしまいました。
 工藤吉隆の子日隆は、日蓮上人の命により、工藤吉隆を殉難の地に葬り、また、鏡忍坊を弔うために『鏡忍寺』を建立しました。



  のちに、周辺の人々により工藤吉隆殉難の地に塚が築かれ『上人塚』としました。


 これらの出来事から「11日」は、鏡忍寺周辺と日蓮宗にとって大切な日となっています。
 また、小松原の法難からの月遅れである12月11日には祈祷会がおこなわれ、この日にもお稚児行列がおこなわれます。
 この日には、境内に植木などの露店が勢揃いします。鴨川市内の最後の植木市とされているため、昔より賑わいを見せています。
      


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