春は、はじまり。 無印良品の新しい暮らし。

人と暮らしが動き出す、新しい季節がやってきました。
新しい学校や職場での日常が始まる人、引っ越し先での暮らしが始まる人、新しいことを計画している人、いつもの朝とともにいつもの暮らしが始まる人。
無印良品では、新しい暮らしを始める人にぴったりな、永く使えるアイテムを幅広く揃えています。また、商品の回収やリサイクル、家具の月額定額サービスなど、ライフスタイルの変化や環境に配慮した取り組みも行っています。

くつろぐ

くつろぐ

空気がもたらす快適さ

座面、背もたれ、肘掛け等、計5つのパーツでできており、それぞれ空気の量を調整できるので、自分好みの座り心地でくつろげます。中身が空気なので、軽くて持ち運びが楽です。不要なときは空気を抜いて畳めるのでコンパクトに収納できます。

よみもの

くつろぐ、
空気のように。

お気に入りの「空気でできたソファ」に座り、愛猫ぶしおとゆったりくつろぐ中野さんの画像

北東北の奥の奥、北奥にある十和田湖の春はちょっと遅れてやってくる。「雪に閉ざされた長く厳しい冬があるからこそ、春はとても恋しく待ち遠しい」とは十和田サウナを運営する中野さん。季節の変化が激しい原生的な自然の中、仲間と一緒に楽しんでいる“くつろぎ”を、語ってくれた。

湖と仲良くなるための手段

ここ十和田湖は約21万年前からの火山活動によって生まれた湖です。ブナやミズナラが自生する美しい森に囲まれ、国立公園にも指定されています。6年前から縁あって拠点をもちはじめたのですが、地方都市で生まれ育ち、東京で働いていた私にとって国立公園の大自然は旅先の一つでしかありませんでした。住みはじめた当時、十和田湖に対しては、ただ漠然と美しいと感じる程度。そんな人間が、この環境に愛情を持ち始めたきっかけが「サウナ」だったのです。北欧にならってサウナをしようと湖畔に集う仲間がテントサウナを購入したのが十和田サウナのはじまりでもあります。サウナでしっかり身体を温めた後、はじめて十和田湖に身体を浮かべました。おそらくいままでで一番自然に近づいた、というより自然と一体化した瞬間です。ぴたりと肌に吸い付くこの水の透明度を知りました。森の中で外気浴をしていると、木々の香り、鳥の声や風の音が聞こえてきます。サウナを通して自然への解像度がどんどん上がっていくことに驚きました。一緒に楽しんでいた仲間の言葉「サウナは十和田湖と仲良くなるための手段だね」。まさに!

十和田湖の水際に配置された木製の椅子の画像
十和田湖の不思議な引力

私が十和田湖とかかわりはじめた頃、雑誌編集の仕事をメインにして東京との2拠点生活を送っていました(現在は十和田湖のみ)。同じく仙台と十和田湖を2拠点に景観設計の仕事をしている人、転職で東京から十和田湖へ拠点を移した行政職員の人、十和田湖生まれでカヌーガイドとして独立をした人など、少ないながらも同世代がゆるやかに集まっているタイミングでした。そんな仲間たちと、この環境をもっとたくさんの人に伝える手立てはないかと話し合い、常設のサウナを湖畔に作ろうということになりました。そんな折、仲間の1人に1本のダイレクトメッセージが届きました。「僕も湖畔でテントサウナがしたいです」。正直怪しいとも思いましたが(笑)、これを送ってきたのが現管理人である樋口くんです。兵庫県西宮市出身、転勤で十和田市へ来たばかりの彼は、サウナはもちろん、すぐに十和田湖の自然に魅了され、週末になると市街地から60分かけて遊びにくるように。彼が十和田サウナの現場に立つということはもはや必然だったかもしれません。もう1人の管理人である千葉くんは、青森市出身。東京消防庁勤務時代、十和田サウナがオープンした最初の夏にゲストとして遊びに来てくれました。体験後にでた言葉が「ここで働かせてください」。まさか本気とも思っていなかったのですが、程なくして十和田サウナに合流。十和田湖の自然とサウナによってつながった3人が、いま十和田サウナを運営しているというわけです。

雪景色の十和田湖畔にて並ぶ中野さん(真ん中)、千葉さん(左)、樋口さん(右)の3人の画像
自然を楽しむことがくつろぎに

十和田湖は、最寄りのコンビニへ行くのも車で40分。とても不便な場所です。でも、目的地にたどり着くまでの景色をドライブがてら楽しむことができます。自然の動きが激しく、外出できない日はお気に入りのソファとカップ、夏に採取したクロモジの枝(お茶になります)があればもう十分です。仲間と語らったり、愛猫とくつろいだりする時間にもなります。冬になり雪が積もると、十和田サウナまで車でアプローチができません。ならばスノーシューを履いてサウナまで森歩きをしながら、冬にしか出会えない静謐な世界を見てもらおうと十和田サウナのホワイトシーズンがはじまりました。片道20分、新雪の上を歩くのは楽ではありませんが、それだけの感動が待っています。この地域は自然を中心にして動きます。ひとたび強風が吹けば、安全優先のため営業を中止しなければならないときも。多くの人が想像できない暮らしがここにはあります。でも、自分たちが縁を感じて引き寄せられたのですから、不安よりも期待が先行します。十和田湖でどんなふうにして過ごそうか、日々考える時間が心地いいのです。

十和田湖の厳しくも全てを包み込む、幻想的で美しい冬はとても長いです。雪解けは4月。雪の下からぴょこんと顔を出すふきのとうや木々の芽吹きに、春の訪れと自然の生命力を感じずにはいられません。まるで新しい季節へ向かう私たちにエールを送ってくれているかのよう。ふきのとうはどう調理しよう?春のあたたかい日差しを思い描きながら、そんなことを考えています。

うつろいゆく自然の中で、十和田湖と呼吸を合わせることが、私たちのくつろぎとなるのです。

湖畔のロッジで「空気でできたソファ」に座ってくつろぐ中野さんの画像

湖畔のロッジでくつろぐ十和田サウナの3人。気分によって、「空気でできたソファ」の使う場所や色選びを楽しめます。

「空気でできたソファ」の背にある持ち手で持ち上げ移動する画像

「空気でできたソファ」は自分好みの座り心地に調節できます。軽いので移動も気軽に。

眠る

眠る

永くつかえるマットレス

マットレスを構成するコイルユニットを肩、腰、足元で3つに分け、コイルユニットの上に敷かれたクッション材も独立しているので、様々な要望に合わせた寝心地を選べます、へたったパーツ(コイルユニット、クッション材、カバー)だけをそれぞれ交換できるので永く使用できます。側生地は取り外して洗濯機で洗えます。

※木製ベッドフレームの脚は別売りです。
3種類の長さから選べます。

よみもの

よく歩き、よく眠る。

海の側で撮った相馬さん家族の写真

神奈川県真鶴町に住む相馬さん家族は、この町に移住して2年目。昨年の2月に第一子となる春ちゃんが生まれ、父である貴文さんは仲間と建築事務所を設立したばかり。住む場所、家族、仕事と新しいことづくしの相馬貴文さん・くるみさん家族の暮らしを見せてもらった。

本当に住みたい町

神奈川県の西の端にある真鶴町は、約7㎢の小さな港町。真鶴は神奈川県唯一の過疎地域だが、最近では移住者も増え、新しいお店も増え始めている。
「もともと夫婦で地方に旅に行くことが好きで、最初は旅行として真鶴を訪れたんです。そのときに、景色も良くて、ご飯もおいしくて、すごく良い町だなって。その後も何度も遊びにきました」
当時はあくまで真鶴は「遊びに行く場所」だったという貴文さん。だから住んでいた家が更新の時期になり、引っ越しを考え始めたときも、真鶴は候補にすら上がらなかった。しかし、引っ越し先候補の町をいくつか見に行っても、なかなかピンとくるところがない。当時は、東京から1時間圏内で通勤できる場所を探していたという。

「そのときは、“身近なところで住む家を決めなきゃいけない”という固定概念があったんです。そんな中、結婚記念日に飲みに行ったときに、『何も考えなかったら、本当に住みたい町はどこ?』という話になって。そうしたら二人とも『真鶴に住みたい』って」

すぐに検索してみると、真鶴からくるみさんの職場まで2時間で行けることがわかる。当時はテレワークが中心で、出社は週に1回ほど。実は通勤1時間圏内にこだわる必要もなかった。こうして二人は、翌々週には物件を探しに真鶴を訪れた。
「その日最後に内覧したのがこの家でした。家に訪れる直前に坂から海が見えるんですが、その景色に『うわー』となって。ここに毎日帰ることができたらすごいなと、ワクワクしたんです」とくるみさん。
時期は3月。ちょうど家の前の木蓮が、二人を歓迎するように白い花を咲かせていた。

真鶴港を見下ろす町並みの写真
太陽のリズムに合わせて眠る

真鶴に移住してからというもの、自然のサイクルに合わせて生活するようになったと二人は言う。家からの見晴らしが良いのでカーテンもつけていない。部屋の照明もあえて暗くしている。テレビも真鶴に来るタイミングで捨てた。外はいつも静かで、鳥の声が聞こえてくる。
「東京に住んでいたときは繁華街のすぐ近くに住んでいたんです。だから遅い時間までご飯を食べに行ったり、飲みに行くこともできて。でも真鶴では、夜になると町が静かになるので、自ずと早く寝るようになりましたね。寝るときにちょうどベッドの横に窓があって、そこから星が見えるんです。今までこんなに星を見たことなかったですね。朝日が昇るころに起きて、日が沈んだら眠るようになりました」早起きの習慣ができて、朝二人で港まで散歩するようになった。また自宅で仕事する貴文さんは、朝6時半に出発するくるみさんを駅まで送り、そのまま箱根・芦ノ湖で1時間ほど釣りをして、帰ってから仕事を始めることもあったという。夜に星がきれいだからと、星を見に行くこともある。
「今まで仕事と家の往復だけで終わっていた1日に、プラスアルファの部分が増えました」

食事をする相馬さん家族の写真
つながりの中で生きるということ

最初は家族だけで完結していた真鶴での暮らしだが、町のお店に通ううちに、少しずつ知り合いが増えていった。
「1日が思いもよらない方向にいくのがすごくおもしろいんです。フラッとまちなかに行って、そこで偶然誰かに出会って、そのままどこかに行ったり。自分たちを知っている人が近所に住んでいて、しかもその人たちは、この町が好きだから住んでいる。だからこそ気が合うし、つながりやすいんだと思います。それは子育てをする上でも、孤独になることがなくて助かっていますね」
もともと建築の仕事をしていた貴文さんは、2023年7月に友人たちと設計事務所を立ち上げた。今後の目標は、この町の中で仕事をつくっていくことだ。

「まだ事務所を立ち上げたばかりなので、真鶴の中では仕事をつくれていなくて。町医者のように、気軽に設計をお願いしてもらえるようになりたいですね。そのためにも、自分のお店のような場所を持つことが一つの夢です」

現在育休中のくるみさんも、今春、子どもの保育園の入園とともに復職する。「今が人生のターニングポイントかもしれない」と二人は言う。自然と人とのつながりの中で、二人は新たな暮らしをつくろうとしている。

「ビーチ材 ベビーベッド」の上に乗る春ちゃんの写真

大きくなると使えなくなってしまうベビーベッドは、月額定額サービスが便利。必要な期間だけ利用することができる。「ビーチ材 ベビーベッド」(2月発売予定)。

ベッドの上で絵本を読み聞かせるひとときの写真

現在は春ちゃんを中心に1日が回る。1日の終わりには、ベッドの上で絵本を読み聞かせるのも日課の1つ。

整える

整える

ライフスタイルは変わるから

組み合わせ自由自在だから、働き方や趣味の広がり、住まいの大きさなど、変わりゆく暮らしに末長く寄り添います。日本家屋のふすまの高さや幅を基準にユニットシェルフ等を設計しているため、現代の家にもすっきりと収まりやすく、ものが増えても簡単に付け足しが可能です。

よみもの

居心地を整える。

杖の使い心地を試す宮田さんの写真

北欧で福祉の文化を学び、東京に拠点を構えたデザイナーの宮田尚幸さん。「自らの環境を整えることが、心地良くするための第一歩です」

デンマークに渡る。フォルケホイスコーレで過ごす半年~杖職人との出会い
デンマークに渡るまでの話を聞かせてください

行く前にいろいろ調べていて、フォルケホイスコーレ※という全寮制の学校を見つけました。そこに入れば、半年間、衣食住があって授業も受けられるということがわかりました。一回ここに入って、半年後現地で働く、という計画で向かうことにしました。※フォルケホイスコーレ(FOLKEHØJSKOLE)=北欧独自の教育機関。特定の分野に特化し個性を持った学校で、アート、スポーツ、哲学、福祉など知を蓄える場所、民主主義を育てる場所。

フォルケホイスコーレで専攻するものは決めていたんですか

これまで触れてこなかったアートの分野などを学ぼうとしていました。だけど、決めきれなくて。いろいろ考えながら調べていると、障害福祉に特化したフォルケホイスコーレが目に止まりました。全部で70個くらいあるジャンルの中で、一番何をやるのか想像がつかなかったのがこれで。

すごいですね、未知を基準に道を選ぶって

僕と同時期に、日本人の車椅子を使っている人が入学していて、半年間その人のヘルパーをやることになるんですが、その経験が僕の障害福祉の世界を広げることになりました。障害の世界やデンマークの福祉の考え方などを身をもって経験して知って。このフィールドで、僕が活かせることってなんだろうって考えるようになったんです。

半年間ってあっという間ですよね。いよいよ仕事探しとなるわけですね

コペンハーゲンで行われた国際福祉機器展で、杖を作る職人さんたちに出会ったんです。その杖を見たときに、日本にいたときに働いていた、プロダクトデザイン会社で培ったモノづくりへの姿勢とデンマークで得た障害福祉の経験が、かなりリンクしたプロダクトに見えて。雷が落ちたみたいな衝撃を受けたんです。
その職人さんのモノづくりに対する姿勢を聞けば聞くほど共感しかなくて。「なんでもいいから、ここで働かせてくれ」って頼みこみました。それから、住み込みで働くことになったんです。最初の1ヶ月くらいは、一緒に杖を作っていたのですが、杖作りを学ぶとなると、半年では中途半端になってしまうと思ったんです。だから、職人さんが素材を見る審美眼や、モノづくりに対する哲学をとにかく身に染み込ませることにシフトしました。それからは、写真や映像で職人さんの動きを切り取ることに徹しました。その結果、この技術を日本に持って帰ることが、自分の宿命だと思うようなっていました。

「スチールパイプワゴンラック」にぴったりおさまるサイズの「重なる竹材長方形ボックス」に並べた道具たちの写真
活動のテーマ、
Design for Care とは
宮田さんが考えるケアってなんですか?

“心理的安全性のデザイン”と言っているんですが、僕はケアという言葉の意味を“そのモノがそのモノであろうとする力をサポートする”ということと捉えています。例えば、僕の杖を日本で初めて買ってくれた方は、当時中学生の女の子で。杖を購入してから、パラリンピックの聖火リレーに応募して、実際に走ってくれました。これまでできなかったことをやってみたいと思える。その人がその人らしくあろうとする力をサポートする、それがケアという言葉の意味なのかなと思っています。
杖のような“道具”でもケアもできるし、デンマークの生活のように、自分たちが暮らしやすいようにハード面の“環境”を整えること、そして僕が学校で学んだ、否定し合わない対話的な“コミニュケーション”でも、それはできると思っていて。その人がその人らしくあれるような状態を、この3軸でデザインしていくというのが、Design for Careです。

休憩をとる宮田さんの写真
日本に帰ってきて、デンマークの暮らしや経験から取り入れている暮らし方はあるんですか?

デンマークの生活を経て、環境がすごく大事だとわかったので、まず自分たちにとって居心地が良い空間を作って、そこに招き入れるようなイメージでショールームを作り、杖を販売していくことにしました。実際に杖を使っている方たちって、使いたくないものを使うという意識があるから、お店に入ること自体、抵抗があるのかなと思っていて。あと、お店って独特の緊張感がありますよね。リラックスできないというか。そういうものを無くしたかったんです。コーヒーを飲みながら、どうして杖を使うのかという話をしたり、普段と変わらない体の状態で、杖を試してみたり、採寸したり。リラックスできる空間であれば、そういうことができるかなと考えました。

話を聞いていて、これまでの経験がここに整って収まっていますね

自分を整えるというのは、日常の道具の整頓や生活環境も重要な視点だと思います。デンマークでもさまざまな家に行きましたが、物がきちんと収納されていました。見えないようになっていることが、とても心地良いんですよね。その考えを活かして、製作途中のもの、完成したもの、革の道具、木の道具など種類ごとや製作工程順などで分けて、あらゆる製作道具を収納するようにしています。インテリアにも見えるキャビネットを使っていると、お客さんがアトリエに来たときに「どこで作るの?」って言われることもあります。スタッキングができたり、同じボックスを使えば、頭の中も整理しやすくなりますね。僕にとって、頭の中を外側でどう整理するかが大切で、この道具はここって決めて、自分の動き方の導線にも合っていると、フィットする感じが気持ち良いんです。そこに道具を戻したとき、家に帰ってきたような気持ちよさもありますね。

休憩をとる宮田さんの写真
「スタッキングシェルフセット・3段×3列・オーク材」に追加したパーツ「スタッキングチェスト・引出し・4段突板」の引き出しにしまう宮田さんの写真

「スタッキングシェルフセット・3段×3列・オーク材」ものや暮らしに合わせて、パーツの追加、組み換えができる。

「壁に付けられる家具 箱」に、本や小物を置いている写真

空いているスペースを有効活用できる「壁に付けられる家具 箱」。

食べる

食べる

おいしく仕上がる厚底仕様

高岡鋳物発祥の地、富山県高岡。優れた職人の技術でつくられました。金属の流し込みから切削加工まで、ひとつひとつ丁寧に仕上げています。環境にやさしい、持続可能な素材「リサイクルアルミ」を使用しました。鋳物ならではの厚底仕様で熱が均一に伝わるため、焼きムラなく、おいしく仕上がります。

よみもの

はじめてのキッチン。

掃き掃除をする若林さんの写真

京都生まれアメリカ育ち、若林のりよし、25歳。
「廃屋あげようか?」そんな突然の問いかけで、今にも崩れそうな廃屋を彼が譲り受けたのは2022年の5月頃だった。姫路駅から電車で30分ほどの、過疎化の進む住宅地。100平米の平屋の一戸建てだ。地域課題と捉えがちな「廃屋・空き家」も彼にとっては、自分の見たい風景を具現化する表現の実験場であり、それは生活の中の食べること、料理をすることにも通じている。

じっくり考えて、廃屋をもらうことを決めた

アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたノリ君の生まれ故郷である日本に、興味を持って引っ越してきたのは、ほんの2年前だ。神戸に拠点を置く”廃屋専門”の建築集団・西村組とのひょんな出会いから、見捨てられていく廃屋に新しい価値を見出し生まれ変わらせる活動のメンバーとして、働くことになった。

西村組で働き始めてからほんの2ヶ月ほど経った、いつものお昼ご飯の時間。西村組の代表・西村周治さんから、本当に何気なく、「廃屋あるけど、いる?」と聞かれた。使い手がおらず余っている遊休不動産を全国から引き取っている西村組は、興味のあるメンバーに1軒ずつ物件を譲渡している。次の日にはボロボロの廃屋を実際に見にいき、アメリカに住む母とも相談し、じっくり考えた末に、その物件を譲り受けることを決めた。「家を持つことには責任も伴うから、正直最初は、怖かった」と話すノリ君。「自分のアイデンティティとなるような存在を譲り受けた気持ち」だったという。

ハムエッグトーストを食べる若林さんの写真
不安だけど、まずは家を直せる人になりたい

住み始めて間もない国で、家を譲り受けること。ボロボロの廃屋を自分で改修すること。誰もが経験できることではない。前の住まい手が亡くなってからほぼそのままの状態で放置されていた家は、モノで溢れかえり、屋根にも穴が空いていた。まずは、ひたすら物を処分・整理することから家づくりは始まった。2トントラックに不用品を積んで何度もクリーンセンター(ごみ処理施設)を往復し、ようやく最近になって解体が始まった。住みながら、少しずつ屋根を剥がし、床を剥がす。「まずは家を直せる人になりたいし、なれるということに喜びを感じている」とノリ君は笑う。
彼にとってここは、表現のための実験場所=アートプロジェクトだ。「日本に溢れる空き家や廃屋は課題じゃなくて、プレイグラウンド(=”遊び場”)だよ」。家を一つのマテリアルとして捉え、そこから作品を作ったり、街に開いたギャラリーを作ったり、それがまちづくりに繋がったり。「僕にとってこの家は、そんなことに挑戦できる大きな”彫刻”のようなものかも」とノリ君は話す。

仲間と食卓を囲む写真
今夜は、思い出のみかんうどんをみんなで

ノリ君のこの考え方は、料理に対する姿勢にも繋がっている。例えば西村組では、12時にスタッフみんなが一緒に食べる「現場メシ」がある。当番制で、その日料理当番の人は多い時では約20名分のお昼ご飯を1時間以内に作る。なかでも忘れられないご飯は、彼が考案した「みかんうどん」だ。ノリ君が現場メシの当番の際に、素材が何もなく、頭を悩ませながら、ありもののうどん、野菜、みかん缶で創作して作った。「料理もアートみたいに創作するのが楽しい」という彼のこの料理は大好評だったという。

11月30日、25歳の誕生日会。初めて手に入れた、自分だけのフライパンで料理をつくり、この家ではじめて友人たちと食卓を囲んだ。「自分で食べるより、誰かのために作って喜んでもらえることが嬉しい」と笑う彼は、この日も思い出の「みかんうどん」を振る舞った。

これから始まる、新しい家と新しい場所での暮らし。「季節と共に暮らしていきたい」と語る彼は、人生のリズムを無理やり計画して作るのではなく、季節に応じて働く場所や働き方、生き方、身の振り方を流れるように変えながら生活していきたいという。誰かにとっては意味がなくなってしまった場所が、彼の創造力や遊び心によって新しい命と役目をもらい、いきいきと生まれ変わっていく。彼の目の前にどんな風景がこれから彩られていくのか、楽しみで仕方がない。

「鍋としても使えるこびりつきにくいフライパン 深型」に具材を追加する写真

深型のフライパンを鍋代わりに。「鍋としても使えるこびりつきにくいフライパン 深型」。

ナンにカレーをかける写真

無印良品のパスタソースを活用したソースはナンを添えて。「フードコンテナ」はフタをして容器ごと電子レンジで温められる。