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小池一子a life with MUJI

今日お話しするのは、日本語で「無印良品」、世界中で「MUJI」と愛称されている生活用品の全体像についてと、その誕生から現在に至る物語です。私はMUJIの誕生についてちょっと責任がある、いわばお産婆さんみたいなものでしょうか。今回のお話に「a life」というタイトルを付けたのは、MUJIと関わった私の人生の記録みたいなものでもあるからです。

1980年12月、無印良品は単色の新聞広告として、日本の主要な新聞に発表されました。

これは、当時のアートディレクターで、日本の美学の一番の継承者と言われる田中一光さんが、クラフト紙にMUJIのコーポレートカラーで印刷したポスターです。このビジュアルは、日本の時代劇で「正しい結論」を見せる定番の絵柄です。「無印良品」と書いて「これだ!」と提示すれば、おじいさんも、おばあさんも、子供たちもわかります。この「無印良品」という言葉を初めて見た時、誰もが「何だ、これは?」と感じたと思いますが、このコピーを書いたのが私です。キャッチフレーズは、「わけあって、安い」。「わけ」とは、その商品の理由で、1つ1つに、「こうだからお客様にリーズナブルな価格で提供できるようになりました」ということを書いています。広告の多くは、それがどれほどすばらしいかを謳い上げますが、この広告には、1行もそういったことは書いていません。それは、ブランドの名前で売る必要がない、実質的なものが商品である無印良品だから可能なことです。無印は、そのものの価値を伝えるだけ。「こういうものですが、どうぞ」という飾らない姿勢がそこにあります。

日本の経済がバブルに向かっていく中で、当時は有名ブランドのロゴを付けるだけで、実質の価格よりも高く売るようなことが一般的になってきました。それを私たちは、「付加価値の間違った運用」だと思いました。大切なのはものの価値をきちんと伝える商品設計です。ジョークになりますが、トイレットロールのカバーに「CHANEL」というロゴを刺繍しただけでも売れてしまうような時代。現代にココ・シャネルが生きていたら、「あら、私の名前がトイレに使われているわ」などと思うのではないかという感じでした。

無印良品は「西友」というスーパーマーケットから生まれました。1979年のある時、西武百貨店と西友という流通業のオーナーである堤清二さんが、経営の人たちやデザイナー、私のようなライターなどを招集し、「プライベートブランドをつくろう」というテーマでブレインストーミングを始めました。今の日本にどういうものを作りたいかを討議し、それが無印の出発点となりました。

この時の商品アイテム数は40品目。このMUJI上海には7,000品目もの商品がありますが、始まりはこの基本的な40品目だったのです。その条件のナンバーワンは、日常生活に必要なものであるということ。生活の道具は、使いやすさを中心に。食べものなら、おいしく安心な素材。着るものは素材を中心に選び、着心地を大事にする。生産の工程をきちんと点検して、無駄なコストがかからない簡単なパッケージにする。これらを実現することで、ものの内容に合った適切な価格が提案できることを自信を持って発表しました。そこから、現在受け継がれているMUJIのコーポレートアイデンティティーの基礎が生まれ、広がってきました。

当時のポスターにあるのは、一見すると何でもない、地味なものたちです。例えば生産の過程でちょっと欠けてしまった乾物のシイタケ。日本のマーケットだと完全な丸のシイタケしか売らなかったのですが、おいしさは同じなので割れシイタケを販売しました。「しゃけは全身しゃけなんだ。」というコピーには、しゃけの端っこや、頭や尻尾も全部おいしいのだから食べてよという思いが素直に表れています。時代の経済の趨勢はどんどんバブルに向かっても、生活の基本はしっかりと考えたいという消費者が大勢反応してくれました。

無印良品という概念の元になったのは、スーパーマーケットの商品部の、豊かな知識とたくさんの調査結果です。より良い商品は、今まで見過ごされていたものや、基準から外れていたものにあるのではないかという考えは、その後の商品計画に反映されました。無印良品を成立させているのは、よい商品、よい環境、よい情報、という3つの柱です。誕生の時から、商品と情報は一体のもの。それを同じスピリットで表現するのがよい環境、すなわち店舗です。最初はそれぞれ別の部門だった食品や生活雑貨も、まとめると1つのライフスタイルが生まれるということで、青山に第1号店が生まれました。設計は、この上海でも力を振るってくださったデザイナーの杉本貴志さん。外装に九州の炭鉱の溶鉱炉の中で使われてきたレンガを使うなど、時間を飲み込んできたものたちで生まれたお店の空間です。

そして、企業の姿勢を語るものとして、「愛は飾らない。」というキャッチフレーズをつくりました。赤ちゃんにとって肌に優しい素材を選ぶのがお母さんの愛情の表れです。強い色や飾りたてたものよりも、素材が大事ということで、この象徴的なビジュアルが生まれています。このイラストレーションは、私たちの仲間で、もう亡くなってしまった山下勇三さんが墨でさっと描いたもの。墨の書だけで1つの思想を表すというアートディレクションを、田中一光さんがしています。

ここで、その頃のポスターをちょっとご紹介します。これは、天体観察をしているドクターが、子供に土星と同じような帽子かぶせてしまったというもので、イラストレーターの和田誠さんが描いてくれました。「自然、当然、無印。」には、自然はそれがブランドでも何でもなく私たちの環境を作ってくれていて、当然一番大事にしているものですが、無印もそのようにありたいという意味を込めています。私は大真面目で原稿を書いていますが、イラストレーターはこういう面白い絵をつくってくれる。そういう掛け算の広告のクリエーションがあります。

「色のまんま。」というポスターのテーマは、自然のままを受け継ぐ無印良品のものづくりについて。羊は育った環境や種類によっていろんな色があるけれど、それをそのまま受け継いで着ましょうということをコンセプトにしています。

「木綿ナ暮ラシ。」のポスターに出ているおじさんたちは、東京湾の端っこで仕事をしている木材の専門家です。なぜ彼らをモデルにしたかというと、やっぱり無印良品は、本当にリアルな生活をしている人たちと一緒にありたいと思っているからです。

ある日、ロンドンのリバティ百貨店からエアメールが来ました。リバティ百貨店は、ずっと東洋のものを勉強して導入しているのですが、そのマーチャンダイザーが、現在の東洋の最も優れた企画と商品として、無印良品をリバティの創立110周年記念行事に招きたいということでした。お手紙は、「私たちは常に東洋から学んできた。現代のものづくりを無印良品から学ぶ」という言葉で結ばれていて、私たちもあっと思いました。こうして、リバティ百貨店のカーナービーストリート側に、MUJIの海外第1号店が誕生したのです。現在では、世界26の国と地域に700余りのMUJIの店舗が存在しています。そして、この上海のお店も旗艦店として世界にどんどん知られていくでしょう。

2015年の、原研哉さんディレクションのポスターで、「自然、当然、無印。」のコピーが再度使われました。30年余りの歳月を経ても同じコピーが使えることは、企業の思いがぶれていないということで、制作者として非常に幸せに感じています。

ここからは、無印良品の最近の店舗環境から、いろいろな気づきを取り上げてみようと思います。これは、「MUJIらしさ」とは何かということを、社員もお客様もパートタイマーの人たちもみんなが共有できるように作った、個別の商品の小さなグラフィックです。「MUJIらしさ」とは、MUJIが細部にわたって留意しているものづくりであることを、改めて表現しています。第1の気づきは、心と身体にやさしいということ。また、静かに納得ができるデザインの表現であること。2番目に、地球環境にやさしいということ。地球資源の限度が来ているのは皆さんご存知だと思いますが、洗剤で洗った水を地面に流していくと、それがどういう結果を生むか。あるいは電気を使い過ぎて破綻が来るとか、そういうことをすべて考えて商品計画をする。3番目に、グローバルな感覚に通じるかということです。日本だけではなく、世界の消費者たちと共有できるという感覚。例えば「人間の足はかかとを中心に90度」ということから生まれた直角のソックスや、首元部分のウールに綿を混ぜたことで、首がチクチクしないタートルネック。西洋の食事にも、中華にも使える和食器。MUJIは衣食住を満たすベーシックな商品が作れればいいと思っています。「a life is MUJI」とは、MUJIがこの3要素を満たしている生活像であることを指しています。

もうちょっといろいろなディテールを見てみましょう。例えば、同じステンレス素材で作られたキッチンツール。水回りに林立する化粧品などをきれいに収め、1つ1つが主張してうるさくならないようにまとめることができるポリプロピレンのボックス。肌につける化粧水は、皆さん敏感に考えますよね。無印は、一番素直に肌を潤わせてくれる水を調査して、東北の岩手県の山奥に素晴らしい水脈を見つけ、この天然水を使ってお肌回りの商品を作りました。MUJIは、デザインから始まったのではなく、日常生活の必要から始まりました。デザインだけを売ることが目的ではなくて、デザインがあって成立する最も生活に必要なものが無印良品なのです。部屋に絵や写真を飾るための、無印のアクリルの額。それをどうやって壁に留めるということは、あまり気をつけていなかったのですが、いいものを見つけたのです。

これは針の先端がものすごく細くて、壁に刺して抜いた後、ほとんど壁に痕が残りません。よくこんな細い先端を無印の商品部の人たちが作ってくれたと思いました。

これはオーガニックのハーブティーで、いい素材であるということが、やっぱり美しい。いい素材は目にも美しいということが言いたいのです。それからこういうハードキャリーバッグも、単に機能だけではなく、形の美しさ、素材の与える感じというものが、デザインの大きな要素になっているのです。

贅沢を追い求める時代の勢いに対して、これでいいのではないかと見直した商品群。それには、私たちの予想を超える反響が続いていきました。この背景には、日本人の中にある「侘び」「寂び」といった、時を経たものの表情や、不完全なものに美を認めるという価値観や美意識があると思います。田中一光さんが初期のデザインで出してくださったモノクロームというデザインポリシーや、山下勇三さんの墨の一筆描きのイラストレーション。私は、これらを迎えた日本の消費者の感覚に注目しました。ただ商品の真実を伝えてきた情報から、何かを受け取ってシェアしてくれているのです。その「何か」とは、物を使ったり食べたりといった日常生活に対しての期待に基づいているのではないかと思います。こうあったらいいなという願望は人によって千差万別ですが、普段の生活はシンプルでベーシックなものがいいという感覚は世界共通だと思います。これが、MUJIが北ヨーロッパでもアラブ諸国でも選ばれ、使われている理由です。

「こうあったらいいな」という感覚は、日本で中世に書かれた「あらまほし」という言葉に象徴されていて、14世紀に兼好法師が書いた『徒然草』の中では、日本人の生活美学が指摘されています。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」満開になった花や、満月だけが素晴らしいというのではなく、花も緑も散りしおれた庭や、雲がかかったり傾いた月も美しいという、日本人の自然観を指摘しています。「あらまほし」とは、こうあってほしいという希望的感覚の表現です。生活はシンプルで気持ち良くあってほしいという感覚は、世界共通なのだと思います。そう思っていたら、ウィリアム・ギブソンというアメリカのサイエンスフィクションの作家が、ロンドンの新聞に書いたMUJIについての面白い記事を見つけました。

「MUJIは、私が考えているところの、実際には存在しない素晴らしい日本を思い起こさせる例として完璧だ。その日本とは、精神的なもので、爪切りからプラスティックのコートハンガーまでもが禅の純粋性を備えており、機能的でミニマルで、価格が適正なのである。私は、MUJIが生まれ出る日本に行ってみたいと切に思う。そこで休日を過ごしたら、なめらかで透き通った静けさが、天然繊維と無漂白の段ボール素材の見事な組み合わせによって、私のものになるだろう。私の浴室用品は、そのもの以上の何物でもなく見えてくるだろうし、私だって、ありのままの私で居続けるだろう。もしMUJILANDというものが存在するなら、それは日本ではない。どこかといえば、それはここロンドンにあるのではないだろうか。」
(Copyright Guardian News & Media Ltd 2016)

MUJILANDは、ここ上海にもあるのではないでしょうか。

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