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杉本貴志上海新旗艦店の空間デザイン

今日、この上海のMUJIがオープンするということで、今朝ずっと回って見ながらいろいろ考えました。MUJIの店舗は、1号店ができてから約30年経っても、基本的なコンセプトは変わっていません。

今回、この店では一階に船を使いました。船ということを借りて、人間の根源的なもののひとつを現してみたいと思ったからです。それが成功したかどうかは別にしても、上海の一番の繁華街に、今までずっと携わってきた無印の「匂い」がする空間ができたのではないかと考えています。この「匂い」は、多分これからも変わっていかないのだろうと思いますし、変えないように守っていくことが大切だと考えています。

無印の1号店(1983年)ができたのは、今から30年ちょっと昔です。小さい店だったのですが、ここから無印が始まりました。今と一番違うのは、そんなに多くの商品がなかったことです。1号店以降、のべ数百店の店舗を作って今に至っているわけですが、僕らの気持ちから言うと、この時から材料や考え方も変わっていません。

初期の頃につくった札幌の店舗(1993年)は、工場の跡地を再開発したところで、この壁のレンガなどは元々の工場の残りです。1号店よりは広い敷地面積があり、整理して見やすくしたので少しきれいな感じがするかもしれませんが、本来無印が持っていたはずの考えや持つべきエネルギーがちょっと見えなくなったなと、後に考えたりしました。

同じく初期の店舗の青山三丁目(1993年)は、300 坪くらいの広さで当時としては大きな旗艦店でしたが、この上海店よりもかなり小さいです。ここで、当初目指した売上にやっと届くようになりました。無印の第一期として完成して、売上がだんだん出てくると、当時の無印の幹部の方は「これででき上がったな」とおっしゃったものです。

その後だいぶ経ち、MUJI新宿(2008)ができました。ここにあるCafé&Meal MUJIというレストランでは、シャンデリアをイメージしたものをグラスで作りました。このあたりから、商品的にかなり完成度が高くなったように思います。次世代のMUJIについて討議し、僕らも意見を言うことも可能になってきました。企画に携わる無印のスタッフの方も多くなってきた頃です。僕自身は少しきれいにまとまり過ぎたかな、と反省していまして、そこから抜け出そうと思ったものです。

無印は、高価なブランド品などとも戦わなくてはならない一方で、リーズナブルな商品とも戦っていかなければならないという宿命があります。その金額がどうこうということではないのですが、無印が販売している物は、基本的には「商品」なんですね。商品を販売し、お届けすることで、そこから何かを感じ取っていただかなくてはならない。「我々はこう考えますよ」ということも、できるだけ商品に乗せていかなくてはならない。

商品は、それ自体がひとり歩きしていってしまうという癖を持っています。例えばこの夏に発売したものを、来年も販売するとします。しかし、まったく同じものというわけではなく、きれいにしたり、競争力をつけることを目指してしまう。商品が増えたり売れたりすると、その商品自身が自分を磨き、主張しだすことで、売り場の中である種の魅力のようなものが発生してしまうのです。

今は、圧倒的に商業主義的な時代で、無印だけでなくその他のブランドもどんどん魅力的になってきています。その魅力は、本来は良いことなのですが、どこかに「いらないな」という思いがあるのも事実です。それは、ほかのブランドだけではなく、無印にも芽生えてくるだろうし、世の中に蔓延してくる。ブランド品に囲まれたりすると、僕は非常に強い怖さや危険さを感じます。だからこそ、本質を常に定義しながらコントロールしなければならないなと思います。

30坪、40坪からだんだん大きくなって、商品もお客様も増え、このようなことが30年の間に少しずつ積もってきまして、有楽町(2011年)というかたちになりました。

そしていよいよ上海です。ここの成長や変化を経験することで、次世代のMUJIというものが少し見えてくるのではないかと思っています。

---質問1
設計したデザインを中国でつくる際、技術的・予算的な問題で実現が難しい場合はデザインを変更しますか?
そのような経験はありましたか?

最近は、技術的なギャップはほとんど無くなりつつあると聞いていますし、僕らもそう感じています。かなり昔、最初に上海で仕事をした時は大変でした。図面が正確に伝わらず全然違ったように解釈されてしまうことがありましたが、最近は図面で打ち合わせをして、ほぼ正確にできてきます。場合によっては日本の業者に助けを求めることもあるし、東南アジア一帯で仕事をした時には上海の業者が出張してきて、仕事をしてもらったこともありました。国のアイデンティティによって変わってくるというのは、なくなりつつあるのではないでしょうか。

ご質問の意図と離れるかもしれませんが、デザイナーが設計したからお金がかかるということは、僕はあまり関係ないのではないかと思います。設計は、誰がしてもお金はかかります。デザイナーによっては非常に高いものが得意な人もいるけれど、その反対側のデザイナーの方が多いのではないかな。僕らが手がけているのは比較的ローコストですが、僕だけじゃなくてデザイナーの半分以上はそういうことに割と向いているのではないでしょうか。

---質問2
1号店から現在のお店で、一番お気に入りのお店はどこですか?

1番とか2番とかはあまりないのですが、新しいものが一番好きですよ。だから、MUJI 上海淮海755は一番愛好しています。その他にも2、3、思い出深い店舗がありますが、それを経て現代にきていますから、今作られる現代的なものが自分では一番愛着を持っています。

---質問2-2
このお店で好きなところと、もう少し良くしたらいいところ、遺憾なところはありますか?

いつも遺憾だらけなのですが、船は好きですね。好きだからやったのですが、できたものを見たときは「おっ!」というものがありました。

---質問3
中国では「無印良品は色気がない」と言われていることについてどうお考えですか?

僕はちょっと考え方が違い、MUJIにはMUJIの色気があると思います。高級ブランドの色気とはまたちょっと違っていて、それを感じる人もいるし、感じない人もいると思うのです。だから、色気とは時代や社会、人によって違ってくるのではないのでしょうか。最近の若い女優が着ているファッションなどを見ていると、昔の色っぽさとは違ってきているように感じます。それはどっちが良いとか悪いではなく、そういう風に社会は変わっていくのだろうと思います。

---質問4

先ほど新宿のお店は「やりすぎた」と仰っていましたが、先生が自分の中で良いと思っている状態とどこに差があるのでしょうか?

僕が他の仕事も通じてテーマにしたいのは、生活が出ることです。例えば地方に行って朝市に行くでしょう。すると、そこには色んな野菜とか魚がありながら、同時に人々の交流があります。これが生活の魅力になっていて、私が一番興味を引かれるところです。それは日本だけではなく、私が行った世界中のカントリーサイドのような場所全部にあって、それがくらしをあたたかくしています。そこでちょっとした買い物をしたり、飲んだり食べたりできる。そういったことが、何よりも人生の中の楽しみになっていくのだろうと思うのです。
口はばったい言い方になりますが、無印は売る商品が中心なのです。 売るためには値段も抑えなければいけないし、余分なものはいらない。例えば、無印のカレーは四百円くらいで、値段で言うと高いものではない。なぜ千円のカレーがあってはいけないのか、八百円のカレーがあってはいけないのかというのを僕らも考えるし、皆さんも考えると思います。だけど無印は四百円で売るために、相当みんなが頑張っている。これが五百円や八百円になったら違うだろうし、材料や売り方も変わっていくでしょう。だけど今は四百円で売ろうとしていて、そこで競争しているわけです。それは無印に限らず、例えば駅でおそばを食べると、日本では三百円しないで食べられます。なぜ五百円、八百円ではいけないのか、と考えると、それでは多分売れなくなるからでしょう。そうしてできてくる社会観に適合していこうとするのが商業社会のひとつの欠陥だと僕は思うのです。社会が作ったひとつの水準から出られなくなるというのは、ちょっと違うのではないかな、と僕は考えています。

---質問5-1
ブランド品の照明と無印の照明の違いはありますか?

それは照明を担当する人の才能とか能力に関わることだから、僕が言えることではないと思いますが。これが良くてこれが悪いということではなく、担当する人がどれだけ一生懸命頑張ったかによって違うのではないでしょうか。

---質問5-2
今回のお店の照明は満足していますか?

うーん、さっきも言ったけど7分、8分くらいはOKだと思います。

---質問6-1
お店を設計する時に重視することはなんですか?

それが一番難しいのですが、やはりそこに流れる空気でしょうか。例えばバーなんかが一番濃厚かな。ボトルがあって、ウイスキーがあって、客がいて。僕はウイスキーを飲むのですが、その名前や照明の強さではなく、そのバーで自分が座ろうとするあたりの空気を感じるかどうかが一番大きいと思うんですね。気持ち良く感じたら最高だろうし、気持ちが悪かったら、多分さっと帰っちゃうでしょう。それが設計の要のところだと思います。

---質問6-2
今後お店のデザインはどのように変化していきますか?

今そう変わりつつあるということで申し上げると、コンセプトが占める割合がより強くなっていると思いますね。例えば、今日皆さんが集まってらっしゃるこの空間のインテリア性が良いかというと、多分良くないでしょう。役には立っているけど、「気持ちいいな」と思っているわけでも、この空間のユニークさを感じているわけでもない。それを感じるには、壁紙を貼り替えたり天井にシャンデリアをつければいいかというと、そういうことでもない。中世の頃の部屋を見ると、壁が紙じゃなくて木かなにかでできていたり、天井から蝋燭のシャンデリアがぶら下がっていたりして、それはそれで立派だなと思わせるものもあったでしょう。でも、僕らはあまりそういうことに感じていない。

地中海に行ったときに、ニースの街の中にあったバーの床が、海岸ではないのに砂でできていました。砂を歩いてカウンターに座ると、そこのオヤジがニッと笑って「この砂はニースの砂じゃないよ」と言うのです。「この砂は、対岸のアフリカから運んできた」と。アフリカ側というとモロッコとかチュニジアあたりですが、そこから船に乗せて持ってきて、その砂を店の床に使っていると。本当か嘘かわかりませんが、何か訴えるものがある。「そうか、これはモロッコの人が踏んでできた砂か」と、何か心にふっと影響がある。こういうことが今の空間の中で、大事なことだと思うのです。

日本のショッピングセンターは、今までの賑やかなところから、少し郊外に作ったりするのですが、そこで欲しいのは、やはりその社会の人々の価値観ですね。いろいろな人が新しいところに来て「俺たちはこういうものを食べたい」、あるいは「こういうものを普段食べている」「こういうものを着ている」「こういうものを買いたい」…。そういう風に市場に人々が集まって街が勃興し始めた。卑弥呼の魏志倭人伝でも市場の様子に少し触れていて、日本でも三世紀頃から市が立ち、人々に対して強い影響力を持っていったそうです。これについては、中国はもっとすごいと思います。例えば紀元前の秦の始皇帝の頃には多分、コミュニケーションがあったのでしょう。それからやがて街になって、商業主義、商業社会の原型になっていったのだろうと思います。そういうことが今までに綿々と息づいていますから、その影響を私は大事にしたいと思っています。

---質問7
MUJI店舗のデザイン・スタイルは一貫していると思いますが、地域によって調整しますか?そうあれば、具体的な違いを教えてください。

違いはありません。

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