元々は東京在住の銀行員。4人の子どもを育てながら、自宅の屋上に家庭菜園を設えて野菜を育てることが日課だったそうです。やがて自分の好きな果物をつくりたいと、鉢で果樹を育てるようになり、リンゴや梨、ぶどうに至るまで約7種の果実を育てるように。そのために、おいしい果物の研究も兼ねて通っていたのが山梨県でした。ぶどう狩りへも家族で頻繁に訪れていましたが、ある時、訪れた農園で出会ったぶどうに魅了されることになるのです。
それは「バイオレットキング」と呼ばれる、「シャインマスカット」と「ウインク」という品種が掛け合わされた品種。シャインマスカットの風味を感じながら広がる甘さに驚いたといいます。以来、そのぶどうを求めて農園へ通い続けていたのですが、ある時、園主から「うちではもう作らないよ」と告げられることになります。諦めきれなかった阿部さんは、手当たり次第に他の農園を訪ね歩き、たどり着いたのが笛吹市にある「志村葡萄研究所」でした。
実は山梨には、品種を掛け合わせて新たなぶどうを生み出す民間の研究所兼農家があり、志村葡萄研究所はまさにその筆頭格。これまでにも数々のぶどうを生み出してきており、その一つが「バイオレットキング」だったのです。以来、週末ともなれば東京から通い詰めるようになった阿部さん。志村さんもその熱心さに感心し、ついには「余ってる畑があるから、自分でやってみたらどうだ?」と声を掛けられることになるのです。
そこは甲府盆地を一望できる山の中腹にある園地。水はけは良いものの、900坪という広さは、とてもそれまでの週末農業ではやりきれない広さでした。ただ、定年に近い年齢の阿部さんは、次の人生をここに賭けてみようと決意。志村さんの元で指導を仰ぎながら、パイプ棚の設営、苗木の植樹から誘引と、週末は足しげく通い、ぶどうに全てを捧げてきました。ぶどうも苗木を植えてからまとまった量収穫できるようになるには最低3年ということを加味した上で、着々とぶどう農家への準備を重ねてきたのです。
それでもぶどうの成長に対して掛ける時間が足りないと嘆く阿部さん。近い将来、退職して、山梨へ移住することを計画しています。これからの時代の一つのロールモデルのような生き方を描いている阿部さんですが、「少しでも志村さんの生み出したぶどうのおいしさを知ってもらえる人が増えれば…」とどこまでも謙虚。その笑顔からは阿部さんの熱心さと優しさがにじみ出ていますが、きっとぶどうにもその想いが伝わって、あまーいぶどうに仕上がっているかと思いますよ。