岐阜県奥飛騨温泉郷(旧上宝村)。標高800m、朝晩には白い霧が立ち込める高冷地特有の気候風土が、この土地ならではの山椒を育んできました。半径5km範囲の限られた土地のみで、代々地元の人々によって、香りの強い優れた木を選抜し接ぎ木して守られてきた山椒。江戸時代には徳川将軍にも献上した記録が残っているほど古くから定評がありました。
長らくその多くは京都へと出荷されていた山椒でしたが、こんな地域の宝をずっと黒子の立場としておくのはもったいない、と地元の特産品として打ち出していったのが(有)飛騨山椒の神崎夫妻でした。その香りと辛味の強さから、次第に奥飛騨の山椒として評判を獲得していくのですが、夫婦共に相次いで病に倒れ、存亡の危機に陥ります。
そこで立ち上がったのが、甥で地元建設会社に勤めていた内藤一彦さんでした。幼少期から“山椒もり”という摘み取りの手伝いをするのが夏休みの日課だった内藤さんにとって、ここの地域おこしには山椒しかないと痛感していたといいます。製法は変えず、品質基準や衛生基準を明示していくことで、時代の変遷と共に消費者ニーズに対応。
自分たちで栽培も手掛けつつ、地元農家がほとんど農薬も使用せず栽培・収穫した山椒の実を買い取り、飛騨山椒が乾燥から加工までを担っていきました。成分分析もしたところ、他産地の山椒と比べ、香り成分に違いがあることが判明。独特の強い香りと辛味を持つ「飛騨山椒」として、その名を確立していったのです。
実は山椒の木には雄と雌があり、実がなるのは雌。6月中頃、種が黒く熟する前の数日間で収穫し塩漬けにするのが「実山椒」。夏に収穫した山椒の種を除去し、果皮を石臼と杵で突いたのが「山椒粉」。雄の木に5月上旬にだけ咲く黄色い花は「花山椒」として、料亭などで使われています。余すところなく使われる奥飛騨伝統の和の香辛料。病みつきになる覚悟で、味わって頂きたいです。