あとからくるひとのために
自分で考えて、選んでる? 暮らしを豊かにする“倫理的消費”

2025/09/20
イラスト・三好愛 取材と文・編集部
とや・ひろし。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。哲学、倫理学を専門とし、「技術」と「責任」をテーマに研究を行う。『ハンス・ヨナスの哲学』(角川ソフィア文庫)、『責任と物語』(春秋社)『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』 (講談社現代新書)など著書多数。
未来の人々が“自由に選択できる余白”を
——今回は『未来世代への責任』がテーマですが、未来のためにできる事を考えてみると、科学技術の発展や、環境保全、紛争問題や人権問題の解決など、さまざまな事が思いつきます。
戸谷洋志さん(以下、戸谷):確かにいろいろな答えが考えられ、そのどれもが間違っているわけではありません。ただ、同じ時代を生きられない以上、それらが本当に未来世代の役に立つかは確かめようがない、というのが難しいところです。
未来は私たちの想像もつかないような社会になり、まったく違った価値観になっている可能性だってありますよね。
——では、私たちが未来世代のためにできる事は……?
戸谷:単純な正解はないからこそ、「未来世代は予測不可能な存在」という前提からスタートしましょう。すると、現代の価値観で幸福と思うものを残すより、未来の人々が“自由に選択できる余白”を、できる限り残しておく事のほうが大切だと考えられます。
この視点を提示したのが、ドイツの哲学者ハンス・ヨナスで、彼は未来世代の選択肢を担保する必要条件として、地球環境保全を挙げました。
環境破壊が進めば、食料や水、住まいといった基本的な選択肢が失われていき、未来の人々は私たちが当然と感じている自由を失う可能性があります。
——未来世代が自分たちで考え、試行錯誤できる余地や可能性を担保するために、地球環境を守り、あとの世代につなぐ事が、私たちの重要な責任という事ですね。では、日々の暮らしの中では、どのような視点を持ち、実践したら良いでしょうか?
戸谷:私たちが日々行っている“消費”を“倫理的な行為”のひとつとして捉え直し、環境負荷低減に寄与できる商品を買う“倫理的消費”は手軽にできる実践のひとつだと思います。
例えば、製造過程で環境に配慮した商品や、動物倫理に配慮した食品を選ぶ事などが挙げられます。くわえて、最近、私が大切だと思っているのは、修理できて、長く使い続けられるものを買う事です。
ありきたりな事のように感じられるかもしれませんが、昨今は使い捨て、買い替えを前提に設計された商品が多く、「修理するなら買い替えたほうが安い」と言われた経験はないでしょうか。
さらに、IT化したスマート家電に代表されるように、暮らし全体がスマート化(※)していくと、複雑すぎて自分では修理ができないものに取り囲まれた環境が構築されていきます。
※デジタル技術を活用して、ものやサービス、プロセスをより効率的で便利にする事。
こうした状況は、経済の循環には寄与しますが、製品の廃棄による産業廃棄物は環境への負荷が大きいだけではなく、富裕国から出た廃棄物が、貧困国に埋め立てられるという問題も指摘されています。
つまり、使い捨てを前提とした大量消費・大量生産のサイクルは、幾重にも倫理的な問題をはらんでいる。だからこそ、「修理し、繕い、長く使う」事を前提に、ものを選ぶ姿勢がこれからの倫理的消費において重要だと考えます。

責任感を持って、主体的に選ぶ
——無印良品は“使い手が主体”という考えをベースにした、余白のあるものづくりが基調です。使い方や組み合わせ方にも幅があり、ライフスタイルの変化に柔軟に対応できるので、結果的に長く使っていただく事につながっています。
戸谷:自らの手で創意工夫をしながら、自分に合った生活環境を構築していく作業は、前述した暮らしのスマート化とは正反対の営みといえます。
古代ギリシャの哲学者 ソクラテスは「汝自身を知れ」と言い、20世紀のフランスの哲学者 ミシェル・フーコーはこれを「自分に適した生活をするために自分自身を知れ」と解釈しました。
何を食べたら健康になるのか、どんな道具を使えば便利にくらせるのか、生活のあらゆるシーンにおいて、どの選択がより豊かな人生を導くかはそれぞれ違う。だからこそ、自分に適した生活ができるくらい、自分を理解する事の重要性を説いたのだと思います。
一方、暮らしのスマート化が進むと、便利ではありますが、自ら考え、自らの手でアレンジできる余地が減り、“誰にとってもそこそこ便利で効率が良いもの”に自分を当てはめて生活せざるを得なくなります。
その結果、“暮らしの主体性”が失われていき、自分に必要なもの、自分が望むものを自分で選び取っていくという姿勢が希薄になってしまう。「自ら選んだ」という実感が乏しいと、その行動に対しての責任感も薄れてしまいますよね。
——与えられるものに従う、受け身の姿勢が浸透していくと、大量消費・大量生産が当たり前の現代社会で、それに“抗う”ような倫理的消費の難易度は上がっていく気がします……。この問題を乗り越えていくにはどうしたら良いでしょうか。
戸谷:暮らしを単なる“日常の繰り返し”ではなく“自己表現”と考えてみませんか。
私たちは誰しも、人生という“物語”を生きていて、その主人公である自分が「どういう人間でありたいのか」を軸に選択を重ねる事で、ストーリーが紡がれていきます。
——確かに、大切なライフイベントなど、大きな決断をするときには、自分の在り方や生き方について考えますね。
戸谷:同じように、日常生活も人生という“物語の一部”という意識を持ち、「何を買うか」「どう使うか」といった些末な事であっても、責任感を持って、主体的に選択をする。
「こう生きたい」という自己表現の中に、未来世代への責任感が大なり小なり含まれ、その延長に、倫理的消費の実践があるのが望ましい在り方だと思います。
——義務感ではなく、自分らしい生き方の一部として倫理的消費を織り込んでいく視点は持続可能な実践を考えるヒントになりそうです。
戸谷:発想や価値観を転換すれば、必ずしも禁欲的にならず、そして資本主義の健全な発展とも両立しながら、地球環境への負荷を減らす事はできるはず。 今を生きる私たちの人生を豊かにする選択を積み重ねた先に、まだ見ぬ未来世代が幸福を探求できる余白を残していきたいですね。
「MY FIRST MUJI〜思い出の店舗〜」
「大学の教員になってすぐのころ、無印良品で研究室の備品を揃えようと思い、何度も足を運んだのが『ららぽーとEXPOCITY』でした。研究室で必要な設備は、そのときどきで結構、変化するんです。あるときは、プリント用紙を大量にストックしないといけなかったり、またあるときは本棚がたくさん必要になったり。その点、無印良品の商品は、どんなレイアウトにも対応できるものが揃っていたので、とても重宝しました。中でも『スタンドファイルボックス』はたくさん買いましたね。思考のノイズにならないという点が私にとって無印良品の魅力。使っているだけで思考が整理され、クリアになっていく気がして、“研究の小道具”のような存在です」
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