「このファイルには一つ一つの仕事を積み重ねてきた誇らしさが詰まっているんです」河井菜摘(修復専門家)

無印十年物語 河井菜摘

おたより/無印十年物語

2025/01/14

気がつけば、十年。互いの変化や年月が懐かしくもあり、これからの希望でもある。
世界に二つとない、人と、ものとの物語。

 

河井菜摘
かわいなつみ・漆と金継ぎの修復専門家 。1984年大阪生まれ。2015年にInstagramをきっかけに購入した鳥取の山の家で過ごしながら、京都・東京・鳥取の3拠点生活を送る。各拠点で金継ぎ教室を開講しながら骨董品や日用品を修復する。https://kawainatsumi.com
Instagram: @nano.o.o (暮らし)@kaimon_magazine(買い物)@kintsugi_._works(修理、金継ぎ)
X: @nano_723


「独立して十年。ファイルが少しずつ厚くなっていくのが嬉しかった」文・河井菜摘

 

誰かにとってかけがえのない、大切なうつわや工芸品を預かって修理する仕事をしている。
金継ぎや漆の修理の仕事で独立してちょうど10年になる。

これまでの経歴を話すと、大学、大学院と6年間漆を専攻し、在学当時は漆の平面にピンホールカメラで写真を写す作品などを制作していた。大学院修了後も別の大学で働きながら制作と発表を続けたが、学生という身分を離れ自分の生活の中でものづくりすることに違和感を感じ始めていた。アトリエ兼自宅では大きな作品を作るたびに多量のゴミが副産物として出てしまい、発表することへのモチベーションも下がっていき、手を動かすことは好きだけどどこか後ろめたさが付きまとい続けた。

そんな時に京都の茶道具の卸会社で漆を扱う修復の仕事の募集を見つけた。ちょうど大学での任期も終え次の仕事を探していたタイミングだったので、応募してやり始めたらこれが自分にハマった。

1からものを作り出さなくても、既にあるものに手を加えて命を吹き込むような仕事は、自分の当時の悩みにあまりにもフィットしていた。
シルクロードを渡ってきたようなはるか昔の時代の産物が、手の中でまた当時の輝きをとり戻していく工程はクリエイティブな作業のように感じたのだ。

徐々にこれを生涯の仕事にしたいという思いが募り、今までの自分の技術や知識では独立するのに未熟だと蒔絵や漆の技術を働きながら学び直して、2015年に独立した。

金継ぎは「なおしたことでかえってよくなる」と表現されることも多いけどお預かりしたうつわを修理してよくして返そうという想いは私はまるでない。
壊れる前の姿がその人にとって最上で、できるだけその時の佇まいや雰囲気を邪魔しない姿でお返ししたいなといつも思いながら修理している。

自分にとってベストを尽くしても、持ち主の方にお返しするときはうつわへの思いが強いからこそ、喜んでもらえるか毎回ドキドキする。依頼者の方に、修理してかえって良くなったみたい、と喜んでいただけることは大切な思い出や想いを壊れてしまった悲しみからアップデートするお手伝いができたようで嬉しい。

お預かりしたものはどれもその人にとって代わりのきかないものなので、私に何かあった時にうつわが戻る場所がわからなくならないよう預かり証をこの10年書き留め続けている。誰かの形見だったり、時には数百万するお茶碗をお預かりすることもあるので、このうつわたちが迷子になってしまわないようにうつわの裏にはマスキングテープで預かった日と持ち主の名前を書き、預かり証を手書きで書いて無印良品のファイル(商品名はバインダー)でファイリングしている。


 
無印十年物語 河井菜摘

バインダー

 

お預かりした日、名前、住所、連絡先、どんなうつわで木箱や蓋などの付属品があるか、どういう仕上げが希望かなどを預かり書にはメモをする。このファイルは独立してから10年使い続けていて、人様にお見せするには不似合いなくらいボロボロだ。何か確認したいときなどすぐに取り出せるように、作業場のすぐ手が届くところに置いている。

 
無印十年物語 河井菜摘

バインダーの中はこのリフィールを使用している

ポリプロピレンリフィール・ハガキポケット
 

修理の仕事を始めたときはこのファイルに一つ一つ紙が入っていくのも、そのファイルが少しずつ厚くなっていくのもとても嬉しかったことをよく覚えている。修理の仕事を志した10数年前の当時は修理や金継ぎを個人で展開している人がまだ一般的ではなく、修理の仕事で食べていきたい話を先輩や先生にしても、まあ難しいよとあまり相手にされなかった。その仕事を一つ一つ積み重ねてこれた誇らしさがここには詰まっている。

途中からこのファイルにも入りきらなくなって、直近1年ほどの情報だけをこちらに保管し、過去のものは7cm厚のファイルに保管している。このファイルももう入りきらなくなってきたので新しいものが必要そうだ。

 
無印十年物語 河井菜摘

右の2穴ファイルにはバインダーに入りきらなくなった過去の預り証を入れている。

2穴ファイル・アーチ式

 

このファイルの中に記されたうつわは一つ一つに私が知らないエピソードや思い出を孕んでいる。ただのモノではないことはいつだって感じている。
例えば誰か大切な人の形見のうつわを修理してお返ししたとき、そのうつわの姿のその先に大切な人の顔を思い起こしてるのだとはっきりわかる瞬間が何度もあった。涙が溢れそうなその表情を見たり、弾んだ声が聞こえてきそうなメールをいただいたとき心の底からホッとするし、こうやって自分を信じて依頼をいただける今の状況をとてもありがたく思っている。


 

無印十年物語 河井菜摘

自分で金継ぎした平茶碗は葡萄の葉のように見える雨漏りがお気に入り。

 

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