無印十年物語
「中学生の頃、母の真似をして、手に取ったノート」甲斐みのり(文筆家)
2025/02/13
気がつけば、十年。互いの変化や年月が懐かしくもあり、これからの希望でもある。
世界に二つとない、人と、ものとの物語。今回は十年をはるかに超え(!)、無印良品のノートやクラフト封筒を使い続けている、文筆家の甲斐みのりさんの物語。
甲斐みのり
かい・みのり 文筆家。静岡県出身。旅、散歩、手土産、クラシック建築、雑貨や暮らしなどを主な題材に、書籍や雑誌に執筆。著書は『「すきノート」のつくりかた』『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』『たべるたのしみ』『くらすたのしみ』など多数。
Instagram:@minori_loule X: @minori_loule
「先の見えない学生のころ、週に一度は通っていた無印良品」文・甲斐みのり
昨年末に、『「すきノート」のつくりかた』という本を出版した。内容は、この10年ほど講演会で話したり、ワークショップを行ってきた「すきノート」という個人的な取り組みや、誕生のきっかけ、どんなふうに記していくのか。ノートをつけることでもたらされること、など。
もう25年も前の大学時代に、私が「すきノート」を始めたきっかけは、未来が見えず気持ちが落ち込む時期が続いたことにある。真っ暗に思える世界から抜け出したいともがく中、週に一度は通っていた無印良品で、ダブルリングのスケッチブックを買い求めた。
大学時代から取ってあるスケッチブックとノート(現行品とは背の色が少し異なる)
そうして「この帳面1冊に、自分が好きだと感じるさまざまな言葉を書き込んで、最後まで埋めることができたら、私は変わることができる」と、半分は根拠のないおまじないのつもりで、もう半分は切実な願いを込めて、白い紙に文字を書き込み始めた。
フランス語の辞書から好きな単語や例文を書き出したノート
当時の私は、すっかり自分に自信をなくしていたのだけれど、「すきノート」をつけ始めることで、幼い頃から好きだった、さまざまなことを思い出した。手先は不器用。手芸や大がかりな工作は苦手。それでもなにかと手紙を書くのが好きで、中高生の頃はレターセット作りに夢中になっていた。
私のファースト無印良品は、今も販売されているクラフト封筒だ。
横型の封筒は何十年と、この2タイプを常備
我が家は年に数回、今はなき静岡市の西武百貨店に家族で買い物にでかける習慣があって、両親について出かけると好きなものを買ってもらうことができた。なにせ35年近く昔のことで、多少の記憶違いがあるかもしれないが、私が中学生くらいのとき、その西武百貨店の一角に無印良品の売り場ができた。地下階だったからか店内はちょっと薄暗くて、倉庫のような佇まい。並んでいる品物はどれもシンプルなデザインで、これまで使っていたカラフルな色使いのキャラクターが描かれた文房具類とは全く異なる。母がシンプルなノートを手にとったのを真似して、私も同じノートと、2タイプの横型の封筒を選び、以来リピート買いするようになった。
封筒には、折り紙を細かくちぎったり、水玉の形に切り出した紙片をぺたぺたと貼り付けて、オリジナルに加工した。鎌倉土産で有名な菓子店のカタログから、鳩のマークやお菓子の写真を切り取って、三角形のフラップに貼り付けると、友達に「かわいい」と褒められて嬉しくなった。
封書は切手選びも楽しい
それから茶色い表紙のノートを使って、親友3人で交換日記を始めた。ノートの中身は、他愛ない日々の出来事の他に、3人とも夢中だった雑誌『Olive』の切り抜きで埋め尽くされた。気に入った洋服や雑貨。行ってみたい東京の店。いつか真似してみたいモデルの髪型やコーディネート。冊数を重ねるごと切り抜きの量も増えて、ノートはどんどん厚さを増していった。
高校、大学と進学し、先が見えない暗黒の時代を乗り越えて、もの書きの仕事を始めてからも、ずっと同じノートと封筒を使い続けている。私にとって始めての無印良品アイテムは、永遠のアイテムとしてあり続けるだろう。
しかし時代はペーパーレスへと突入している。この10年でほぼ完全に、手紙はメールとSNSに代替し、仕事の請求書を送るのも封書からメール添付に変わりつつある。私自身メモを取るのもスマホを使うことが多くなっているが、それでもやっぱり紙が好きだ。ノートも封筒も買い足す頻度は減ったものの、これからも確実に常備し続ける。
そうして、簡単な模様を描き入れた無印良品の封筒を誰かに送りたくて、手紙を送る口実をいつも探している。
簡単な模様を書き入れた封筒
封筒の宛名は竹ペンと墨汁で書き入れることが多い