洋服に興味を持った小学6年生の頃からファッションの職業に就くことを目指すようになったSTIR代表の渡邉さん。
ジャケットスタイルに合わせられるTシャツがないことに気がついてから「ドレスTシャツ」というスタイルを新しく作りだした渡邉さんですが、現在のように活躍されるまでどのようなことがあったのか気になります。
第1話の今回は、渡邉さんがファッション業界で働くことを目指して渡米されるまでのお話しです。
STIR Instagram
@stir_japan
STIR 公式ウェブサイト
―渡邉さんは地元新潟の高校卒業後に東京の服飾専門学校に入学されたそうですが、いつ頃から洋服に興味をもつようになったのですか?
洋服関連に興味があったのは小学6年生の頃からです。2歳上の兄がいるんですが、兄は当時ファッションが好きで、家にたくさんファッション雑誌があったんですよ。服を好きになったのは兄の影響を受けたのかもしれません。
中学生時代、スニーカーが大好きでショップ巡りをしょっちゅうしていました。そのころからファッションの職業に就こうと決めていました。
当時はBEAMSさん(ビームス:輸入及びオリジナル衣料品や雑貨を販売するセレクトショップ)とかよく通っていて。地元にあるファッションビルにいろんなショップが入っているので、巡って勉強していました。
―お兄さんから影響受けたということは、服の趣味は同じだったのでしょうか?
全然違います。兄はストリートファッションが好きでしたが、僕は当時からシンプルなスタイルが好きでした。だから同じものを共有することもなかったです。
―母校でインタビューをお受けになった2年前の記事を拝読しました。シンプルできれいめな服装をされていましたね。お話を伺って、ずっと今のスタイルを続けてこられたのかなと驚きました。
セットアップのスタイルでずっと過ごしてます。最近はPRもかねてカジュアルなファッションをするようにしているんですけど、セットアップのスタイルがやっぱり落ち着きます。
よく同級生から「昔と今でファッションのスタイルが変わらない」と言われるんですけど、ずっとこういう感じですね。トラッドなスタイルが好きです。
―服飾の専門学校ではどんなことをしていたんですか?
ファッションのスタイリストを志していたので、スタイリスト科に入学しました。僕の出身校は現場に行けるのが特徴でした。プロで芸能人や雑誌のスタイリングをされている方の現場に直接行って研修を受けられるという制度があって、それを目的として入学しました。スタイリストは現場職なので、とても勉強になりました。
なかにはそのまま学校を辞めて、スタイリストに師事する人もいました。
―渡邉さんは渡米経験がおありとのことですが、学校卒業してそのままアメリカに行こうと思ったのでしょうか?
卒業直後は2年間程グラフィックデザインや広告デザインの会社で働いていました。本当は2年もいる予定なかったんですけど、なかなかお金が貯まらなくて。
在学中に出会ったスタイリストさんの手伝いをしたくて留学を志していたんですが、貯金をすることと、「スタイリストだけできてもそういう人はいっぱいいるから、何か違うこともできるようになっておかないとダメだよ」という言葉を信じてデザイン業を経験してみようと思いました。
それまでスタイリストは雑誌でビジュアルを作るのが花形の仕事だと思っていたんです。海外のファッション雑誌はビジュアルページがしっかり作られていると思うんですけど、そのスタイリストさんも海外で活躍されていたのでそういうことがやりたいな、デザインを勉強すれば構成とかも学べるんじゃないかなと思いました。
―デザイン会社はどういう基準で選ばれたんですか?
直感です(笑)雰囲気がかっこいいなと思ってその会社にしました。
―デザイン会社で働くことって大変なイメージがあります。
あまりそういうことは考えていなかったです。自由にやらせてもらっていました。例えば「資料集めて」「こういう構図の写真集めて」「撮影でこういう小物を使いたいんだけどリサーチして」とか。そういうものを自分で調べて探したりする、答えのない仕事内容だったので楽しくやっていました。
―アメリカではスタイリストさんの元でインターンをされていたのでしょうか?
そうです。英語が喋れなかったので、最低限のコミュニケーションは取れるようになろうと思って、カナダに語学留学してからアメリカへ行きました。
―カナダで語学留学された後は、インターンとしてすぐ採用してもらえたのでしょうか?
無理を言った面もあると思うんですけど、採用してもらえました。そのスタイリストさんも日本人で、意思疎通をとりやすいのかわからないですけど、日本人スタッフを探している方だったんです。
タイムズスクエアから徒歩5分ぐらいの、ニューヨークの真ん中にオフィスがあって、派手なところで楽しかったです。無印良品さんも近くにありましたよ。
(ニューヨーク タイムズスクエア 渡邉さんがインターンをされていたオフィス付近)
―インターンではどういうことされていたんですか?
リサーチしたり洋服を借りに行ったりしていました。日本でもやっていたことは同じだったので、世界共通だと思います。
仕事がメインだったのであまり観光はしていませんでした。
―アメリカ滞在中は週5で働いて、休日2日間を家で過ごすとなるとニューヨーク内や他の州まで観光したくなるのかなと思ったんですけど、そうではなかったんですね。
ほんとは観光もしたかったんですけど、とにかく自分で何かしたいという気持ちでいたので、日本にないブランドをリサーチしてニューヨークの洋服屋を巡っていました。メモを取って、また次の休日に別なお店へ行くことをやってました。その道中に通りかかった場所、例えばブルックリン橋とか有名な観光スポットがあると感動するって感じでした。
それに土日に撮影があることもあったのでなかなか動けず、最後に観光をしようと思ったんですが、時間が無くてあまりできませんでした。
(ブルックリン橋:イースト川をまたがってマンハッタンとブルックリンをつなぐ橋)
―いろんなアパレルショップを巡った時に見聞きしたことが、今に繋がるインスピレーションとして湧くことはありましたか?
ディスプレイの仕方が日本と違いました。日本は洗練された感じのお店が多いんですけど、派手なディスプレイはアメリカっぽいなと思いました。シューズでアメリカ国旗を作ったり、そういうのはあんまり日本にないじゃないですか。
―国によってディスプレイや見せ方全然違うんですね。
ビルの作りがレンガ造りなので、そういう点も活かしたディスプレイになっていて、日本とは表現方法が違うと思います。
(ニューヨーク クリスマスの街中とディスプレイの様子)
<つづく>
ファッションのスタイリストになることを目標として、長い準備期間を経て渡米した渡邉さん。なぜファッションのスタイリストではなく自らのアパレルブランドを立ち上げるようになったのか、次回はそのお話しを伺っていきます。どうぞお楽しみに。
●つづきのお話
◎
第2話 本当にやりたいことってなんだろう
◎
第3話 STIRのものづくりとこれから
*STIRの商品は以下からご覧いただけます
〇
オーセンティックドレスTシリーズ
〇
肌触りの良いワンピースとドレスTシャツ
〇
涼しげなドレスT
instagram
@ideetokyo
IDÉE TOKYO