洋服に興味を持った小学6年生の頃からファッションの職業に就くことを目指すようになったSTIR代表の渡邉さん。
ジャケットスタイルに合わせられるTシャツがないことに気がついてから「ドレスTシャツ」というスタイルを新しく作りだした渡邉さんですが、現在のように活躍されるまでどのようなことがあったのか気になります。
第2話の今回は、アメリカから帰国した渡邉さんが気づいたことのお話しです。
●これまでのお話
◎第1話 ファッションスタイリストになりたい
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―帰国後すぐSTIRを立ち上げられたのですか?
いえ、洋服の企画会社やドレスシャツのメーカーで働いていました。ちょっと自分の中では冴えてない時期です(笑)
迷走していました。スタイリストを目指してアメリカに行ったのに戻ってきているので、挫折していた時期です。スタイリストはもういいや、ちょっと違うなと感じてやめようと思いました。洋服関連の仕事をしないとモチベーションが続かないだろうなと思って、シャツのメーカーやアパレルの企画会社で働いていました。
―そう思って迷走した時期もあったことでSTIR立ち上げへ至るようになったのでしょうか?
「自分はなにをやりたいのかな」と、やりたいことを考える時間がたくさんありました。そこから本当は自分の洋服ブランドをやりたいなという考えが根本にあることに気がつきました。
―「自分の洋服ブランドをやりたい」という気持ちは、ファッションを好きになった中学生の頃からでしょうか?
その時からあったと思います。「自分には難しい」と勝手に思ってやらずにいたんです。けれど、自分がディレクターとして全部やってみたいなっていう気持ちがだんだん大きくなっていきました。
―やるぞ、と決めた瞬間に至るまでにはどんなきっかけがあったのですか?
洋服の企画会社ではブランドに対して商品を考えて提案する仕事をしていましたが、「モノづくりってどんな仕事なんだろう」と考えながら働いてるうちに、ブランド側に立ったら楽しそうだなと思いました。
―そこで働いてブランド側が楽しいと気づいて、ドレスシャツで何かやりたいと思ってドレスシャツメーカーへ転職されたんですね。
元々シャツが大好きで毎日シャツを着て過ごしていたんです。シャツブランドを立ち上げようと思ってドレスシャツメーカーへ転職したんですけど、だんだんスーツを着ない文化がこれから育っていくなと僕は感じていました。世の中の流れ的にリラックスしたイージーなセットアップとかが流行っていくだろうなと。
それだったらシャツメーカーは限られてくるだろうなと思って、その代わりに何かないかなと考えて閃いたのがTシャツでした。
自分ではそれまでTシャツを着てこなかったんです。着ない理由を考えたら、その当時は市場にきれいめなTシャツが無かったんです。そこからドレスシャツを選ぶような感覚で楽しめるTシャツブランドを始めたいなと思ってSTIRを立ち上げました。
当時、市場にはTシャツ自体が無骨なものか、スポーティーなデザインなものがほとんどでしたから。
―厚手のTシャツが流行り出してから久しいですが、確かにきれいめなジャケットとパンツに合わせて着られるようなTシャツってありませんでした。
カジュアル路線のものが多かったですよね。ドレスTシャツって謳ったのはおそらくSTIRが初めてだと思っているんです。今はだいぶ増えてきましたが、当時はその言葉自体が無かったんですよ。
―STIRはドレスTシャツのパイオニアですね。
その自覚は一応あります(笑)
<つづく>
約2年半の準備期間を経てアメリカへ渡ったことで、やりたいことはスタイリストではないと気がついた渡邉さん。これをきっかけにして子供の頃からやりたいと思っていたけれどできないと思い込んでいた、アパレルブランド立ち上げに動いていきます。
次回はSTIRのつくるドレスTシャツのデザインや生地へのこだわり、これからのSTIRについてお話を伺います。
●つづきのお話
◎第3話 STIRのものづくりとこれから
*STIRの商品は以下からご覧いただけます
〇オーセンティックドレスTシリーズ
〇肌触りの良いワンピースとドレスTシャツ
〇涼しげなドレスT
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