八丁味噌が造られている旧八丁村は、矢作川の舟運と旧東海道が交わる水陸交通の要所でした。そして、原料の大豆や塩を調達しやすかったこと、良質な伏流水があったことなど、好条件が揃っていたことで、味噌造りが盛んになったといいます。
徳川家康も愛したといわれる八丁味噌は、熱がゆっくり伝わる木樽の中で熟成するため、大豆のたんぱく質がじっくりと旨味成分へと変化し、濃い赤茶色の味噌が完成します。愛知県の味噌汁に「赤だし」が多い理由はこれでした。
八丁味噌は、米や麦ではなく大豆から麹を造ります。そして、現在も杉樽を使って、大豆麹と塩を混ぜ合わせ、仕込みに使う水を少なく、熟成期間の二夏二冬以上置いて、自然に発酵させています。
自然発酵を手伝うのが、石積み職人によって一つひとつ並べられたピラミッド型の3トンもの石。石の重さで内部の水分の対流を促してあげるんだとか。「味噌屋」と呼ばれる修業を積んだ熟練の職人だけが成せる技です。
今も昔も変わらない味を守り続けるために、「先人たちが作った哲学を商売のために変えてはならない」と社長の浅井信太郎さんは語ります。一方で、新しいことにも常にチャレンジしており、海外展開にも果敢に挑戦しています。