「田縁農園」を引っ張るのは、2代目の田縁藤治(とうじ)さん61歳。今でこそ柑橘の産地を形成している愛媛県ですが、初代園主である父親の時代は、何もないところから畑を開墾して、柑橘の苗木を植えるところから始まったといいます。海に向かってきれいな段々畑が構えられているのも、先人の並々ならぬ努力の賜物だと感謝を絶やしません。そんな父親の背中を見て育った田縁さんにとって、長男として柑橘畑を継いでいくのは自然の流れだったといいます。
ただ、お米でも減反政策が取られていたように、当時はみかんも供給過多の時代。「父も農家として食べていくのは厳しいと思ったのか、はじめは就職を促されました」そう話す田縁さんは大学卒業後、地元の農協に就職し、15年間働いたんだそうです。その時の経験は、いざ就農後に存分に生かされることになります。「仕事柄、果樹試験場で開発されたさまざまな柑橘の新品種を知れたんです。父の代では温州みかんと伊予柑のみでしたが、自分が就農してからはさまざまな品種の苗木を植えていきました」
それが、柑橘の大トロ「せとか」や、柑橘の王様「甘平(かんぺい)」、そして樹になるゼリーとも呼ばれる「まどんな」といった品種です。今では20種類以上の柑橘を手掛けていますが、品種ごとに栽培方法やケアすべきポイントが違うというから、その苦労は想像以上です。例えば、実が太陽に向かって成りやすいせとかは日焼けしやすいため、枝ぶりが下がるように剪定で工夫したりと。それでも「それらをおいしくつくるのが農家の仕事ですから」とサラリと田縁さんは話します。
さらに田縁農園では、できるだけ有機肥料を与えつつ、乳酸菌エキスを根や葉から吸収させることで、植物本来の力を引き出す栽培法をとっています。こうすることで、熟期も早まり、味もおいしくなったと巷からは評価を得ています。「人間も腸内の善玉菌が増えると元気になるように、植物も乳酸菌の働きで活力が与えられるんです。それによって実もまろやかに、おいしくなるのかなと思います」そう話す田縁さんはどこまでも職人気質です。
そんな田縁さんの背中を見て育ったせいか、既に後継ぎとなる3代目の大晴さんも就農しています。大晴さんは一度、大阪方面の大学に進学するも、「一度離れてみて、地元にはおいしい柑橘をつくれる環境があることに気付いた」といいます。実際、海に面した段々畑には燦燦と太陽が降り注ぎ、絶え間なく潮風が吹き続けています。この潮風によって適度にもたらされるミネラルが、おいしい柑橘が育つ条件なんだそうです。親から子へ受け継がれていく「田縁農園」の多種多様な柑橘を是非ご堪能ください。