北海道の西郡、積丹半島の東の付け根に位置する余市町。日本海を北上する暖流、対馬海流の影響を受けて、道内でも比較的温暖な気候に恵まれています。冬に降り積もった雪は4月の雪解けを経て、5月には桜や果樹の花々が一斉に開花します。リンゴ、ブドウ、梨などの生産では道内一位を誇っており、ウイスキーやワインの醸造が盛んなことで知られています。そんな土地にさまざまな出会いや縁があって移り住み、大学生の頃から思い続けていた就農を果たしたのがPink Orchards(ピンクオーチャード)の代表の木内美佳さんと夫の大介さん夫妻です。農薬をできるだけ減らし、消費者にも生産者にも優しい持続可能な農業を目指しています。
余市にたどり着く以前は、イギリスに15年ほど暮らしていた木内夫妻。大学卒業後、大介さんのラグビー好きが高じて、ラグビー発祥の地のイギリスに生活拠点を移しました。ロンドンやスコットランドのアバディーンなどで暮らす間も、美佳さんは「いつか自分の畑を持つ」と思い続け、英の大学院で有機農業を勉強したり、農業研修に行ったりしていました。そんなイギリスでは、手軽に飲める本場のシードルの魅力にも触れました。
「週に1回、クラブチームでラグビーを楽しみ、試合が終わればみんなでクラブハウスで飲む。そんな地域に根差した暮らしが好きだったんですよね」と話す大介さん。一方で、「農業に携わることは大学時代から決めていました」と話すのは奥さんの美佳さんです。「次は私のやりたいことを優先して」と家族を説得し、2015年にイギリスから帰国。一度は東京に拠点を構えるも、農業をするための準備として訪れた北海道で、いくつかの偶然が重なってたどり着いたのが余市町。そこでの人との出会いが北海道、そして余市町への移住の決断につながり、2017年に余市町へ移住しました。
余市町は北海道有数の果樹の産地で、余市町では明治の開拓使の頃にリンゴ栽培が導入された長い歴史があります。また、ニッカのウイスキー蒸溜所でも知られるように醸造も盛んな地域でもあり、ウイスキーに加えて近年ではワイン特区の認定を受け、地域には15軒ほどのワイナリーがありワイン醸造も盛んです。木内夫妻の中で、余市町のリンゴ栽培の伝統と醸造の英知、そしてイギリスで出会ったシードルの文化が繋がったのも自然の流れでした。「ここにたどり着けたのも人と人との繋がりからなんです。そうした繋がりが大切に感じるようになったのもイギリスでの生活があったからかもしれません」
2017年に移住してからは農地探しなどの準備を経て、2018年に地元農家から果樹園を継承しました。まずは前農園主から引き継いだプルーンやブドウ栽培を中心に農業をスタート。ブドウは、有機栽培に準じた方法で栽培しています。プルーンは農薬を使わないと栽培が難しい果樹ですが、農薬の使用を最低限まで抑える栽培方法にも挑戦しています。また、国内ではまだ珍しい醸造用リンゴの栽培も進め、地元農家の手ほどきを受けながら穂木から接ぎ木で育てています。シードルが盛んなイギリスやフランスでは、何種類ものリンゴをブレンドして醸造することが一般的であり、現在22種類の醸造用リンゴを栽培しています。
2021年には納屋を改修してシードル専用の醸造用施設(サイダリー)を完成させ、同年4月に酒造免許を取得しました。余市町はワイン特区に認定されており、ワインだけでなくシードルも、通常よりも少ない生産量で酒造免許取得が可能です。加えて、地域にワイナリーが多い余市町ですので、分からないことや困ったことがあれば相談できる仲間たちがたくさんいます。果樹栽培だけでなく、醸造の知見についても余市町は本当に恵まれています。自家農園のリンゴの収穫量が増えてくるにはもう数年かかりますが、近い将来、そのリンゴを使って醸造したシードルが飲める日が訪れるはずです。