「デザインは使う人のためにある」深澤直人が読む、柳宗悦。 | MUJI BOOKS 文庫本「人と物」シリーズ

「デザインは使う人のためにある」深澤直人が読む、柳宗悦。 | MUJI BOOKS 文庫本「人と物」シリーズ

おたより/きくみるしる

2025/12/05

随筆家、詩人、映画監督など、くらしを見つめた文化人を取り上げ、「人と物」の視点からその人の残した言葉を届ける、MUJI BOOKS文庫本「人と物」。毎回ひとりのゲストに、シリーズの中から一冊を読んで、語ってもらう連載。
第6回の本は『柳宗悦』。学生の頃から幅広く学問に傾倒したのち、民衆の暮らしから美を見いだし、それを民藝と名づけた柳宗悦。現在、彼の生涯の仕事を展示する日本民藝館の館長で、プロダクトデザイナーの深澤直人さんが、生活の美や無名の芸術を発見した、日本における民藝運動の祖について解説する。
(取材と文・綿貫あかね 撮影・田上浩一)
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読んだ人・深澤直人

ふかさわ・なおと プロダクトデザイナー。1956年、山梨県生まれ。80年、多摩美術大学プロダクトデザイン学科を卒業。同年セイコーエプソン入社。89年渡米し、ID Two (現 IDEO サンフランシスコ)入社。デザインの仕事に7年半従事した後、96年帰国。2002年より、無印良品のアドバイザリーボードとしても活動。現在、日本民藝館館長。多摩美術大学副学長。『深澤直人のアトリエ』(平凡社)など著書多数。イサム・ノグチ賞など受賞歴も多数。


アノニマスな日用品に潜む、“自然が表す美”を見つけた日本民藝の祖

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【柳宗悦】

やなぎ・むねよし  思想家、美術評論家。1889年、東京・麻布生まれ。学習院中等科在籍中に武者小路実篤や志賀直哉と交流し、1910年に文芸誌『白樺』の創刊に参加。そのつながりで、来日したバーナード・リーチとも知り合う。『白樺』の同人たちとともに、画家・詩人のウィリアム・ブレイクや彫刻家オーギュスト・ロダンに傾倒する。1914年に古朝鮮の陶磁器に出会い、そこから暮らしに密着した道具に美を発見して民藝運動を始める。1936年、日本民藝館を開館。『手仕事の日本』(岩波文庫)など著書多数。1961年逝去。
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MUJI BOOKS 文庫本 「人と物1 柳 宗悦」

「人と物」シリーズの記念すべき最初の本。『柳宗悦全集 著作篇』全22巻(筑摩書房)を底本に、「民藝」「雑器の美」「用と美」「工藝的なるもの」などから、彼の哲学や長年にわたる活動が直接的に理解しやすいエッセイを中心に抜粋、編集されている。写真やイラストは日本民藝館所蔵のものを使用。時を経て機械化し、現在ではすでに役割を終えた道具の写真を見て、当時の暮らしに思いを馳せるのも楽しい。

日本民藝館で、デザインは自分ではなく使う人が大事だと感じ取れた

 “民藝運動の父”と呼ばれ、1936年に活動の拠点となる日本民藝館を設立して、自ら館長に就任した柳宗悦。深澤直人さんは、現在、その日本民藝館の第五代館長を務めている。

「館長の仕事をしているといろいろな情報や背景が吸収できて、それで宗悦の思い描く世界がほぼ理解できたこともあり、実は宗悦の本をすべて通読しているわけではないんです。しかし思い返すと、自分の転機に民藝の思想を知ったことは本当に良かった。というのも、30歳を過ぎてアメリカに渡る前に、日本の美学をある程度知っておいたほうがいいんじゃないかと思い立って、日本民藝館に足を運びました。そのとき、入場券とともに渡されたチラシ状の設立趣意書をなにげなく読んで、『えっ?』となったんです」

 1926年に発表されたこの設立趣意書には、民藝とは民衆的工藝の略称で、庶民の生活の場で使われている日用品、手仕事によって生み出されたものや道具に美を見いだし、その価値を再認識して広く世に伝える、というような内容が書かれている。

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かつて山形で使われていた鉄瓶。下からの熱を受けやすいように、底が広くなっている。把手の中は空洞で持ちやすい。全体の丸いラインが流麗で、機能美にあふれたデザイン。
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沖縄から宗悦が大切に持ち帰ったという糸満の木工品、淦取(あかとり)。糸満は漁師町で、淦取は漁師が船の中に入った水をかき出すための道具。

 深澤さんが渡米しようとしていた当時は、エモーショナルなデザインの潮流が起こり、それが新鮮だった時代。自身もデザインの“本格”を目指していたときでもあった。

「その頃は『自分とは何か』『どう自分を表すのか』『何を作りたいんだろう』というようなことばかり考えていました。デザインにはそれが必須だと誤解していたんですね。でも設立趣意書を読んでみると、宗悦はここで民藝について言っているけれど、これはデザインのことだと、はっとした。そのとき自分が目指していたものとは正反対に、デザインは自分じゃなくて使う人が大事なんだと感じ取れたんです。宗悦の考え自体は日本独自のものではないんですが、これから自分が海外に旅立つというタイミングだったので、その文言は特に心に深く刺さりました。だから、アメリカの会社にいた約7年間、そのチラシをデスクの上にずっと貼っていました。それには、宗悦の息子の柳宗理が日本の草分け的な工業デザイナーだという影響もあったと思います。宗理の本も読んでいたので、僕は両巨頭に文字を通じて出会ったんです」

 設立趣意書は文語のためすぐには理解できない部分もあるが、そこに凝縮された宗悦の思想は、MUJI BOOKS 文庫本 「人と物1 柳 宗悦」に収録されているエッセイから容易に読み取れる。宗悦はさまざまな視点から見て、何が民藝なのか、そこに宿る美とは何かを、生涯をかけて発見し解釈していった。もちろん、19世紀のイギリスでウィリアム・モリスたちが行ったアーツ・アンド・クラフツ運動など、すでに民藝の活動や思想は世界に存在したが、日本では彼やその仲間たちが初めて行った運動だった。

「僕はそれまで、民藝という言葉は昔から使われている一般用語だと思っていたんですが、宗悦が作った造語なんです。それを知ってびっくりしました。英語のアーツ・アンド・クラフツ運動をそんなふうに日本語化したのは、非常に興味深い」

誰が作ったかわからない、無名のものに宿っているのが本質的な美

 そもそもは、若い頃から美術や宗教、哲学を研究していた宗悦が、朝鮮の古陶磁研究家で、当時の朝鮮で教師をしていた浅川伯教のりたかから、李朝の日常使いの壺を土産にもらったところから始まる。その美しさに魅了されたことが、彼を本格的に日用品や無名の職人が手作りしたものの収集、研究に向かわせた。

「専門的な教育や訓練を受けた作り手が作ったものよりも、ものづくりに徹している職人が作った日用品のほうがよほどすごいんじゃないか、ということを彼は言っています。その視点はそれまでの日本にはないものでした」

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冒頭の「くらしの形見」から。愛用していた朝鮮製の鼈甲メガネは、民藝運動の仲間である濱田庄司や河井寛次郎とお揃いだった。つるの先には日本民藝館の標章が。

 現在、わたしたちが日常で使うもののほとんどは機械で作られている。しかし宗悦の時代は、機械化されていたのはまだ一部であり、特に都会以外の土地では、身の回りの何かを作るのも、それを作るための道具も、人間が手で作るのが一般的だった。それらのものは生活必需品だから作って使っていただけであり、庶民はそれが工芸品になるなど思いもよらなかったに違いない。

「宗悦が民藝とは何かについて語っているところで、16ページに出てくる《名もない工人達》や、《多くの鑑賞家達は在名の品を尊びますが、しかし無名品でなくば現し得ない美があることをも、知っておくべきだと思います》という言葉(下の写真)。これは鑑賞用に作られたものではなく、誰が作ったかわからないけれど、そういう無名の品でないと生み出せない美があるんじゃないかという意味です。同じページに出てくる“健康な美”というのは宗悦の有名な表現ですが、無名のものに宿っている“健康な美”が本質的な美だとして、《私はそういう「健康な美」が多量に民藝品に含まれていることを目撃する者であります。私はそれをNormal beautyと呼びたいのであります》(下の写真)と語っている」

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「僕はゼロ年代にプロダクトデザイナーのジャスパー・モリソンとともに『スーパーノーマル』という活動をしていました。当時このくだりを読んで、何十年も前に同じことを言っている宗悦と、こういうところでつながるのかと不思議に感じました。現在、僕自身は名前が出るようになってしまいましたが、ものづくりの本質的な部分では民藝の位置にいようとしています。常に戻るべきところであり、いまも自分がデザインするときは、ここを目指してやっているつもりです」

自然の作用によって表れる日用品の美に、人はなかなか気づかない

 民藝の思想は、作り手が美しく作ろうとしなくても、ものに宿る美は自然の作用によって無意識に表れてくる、という考え方だ。

「24ページの《陶工の手も既に彼の手ではなく、自然の手だと言い得るであろう。彼が美を工風くふうせずとも、自然が美を守ってくれる。彼は何も打ち忘れているのだ。無心な帰依きえから信仰が出てくるように、自から器には美が湧いてくるのだ》という文章(下の写真)もとても面白い」

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なぜこの形の皿になるのか、詳しくはわからないままに陶工たちは手を動かし、何度もろくろを回している。その無心の手の動きこそ自然のなせる業だという。

「つまり、手は自然を利用した道具みたいなものであり、美を作ろうとしなくても自然が手を貸してくれる、と言っています。たとえば陶磁器などの焼き物を作る際、土の状態はこねているときも、ろくろを引いているときも、その日の気温や湿度などによって変わるものです。しかも、最終的に窯で焼いてみないと完成形は見えない。それらはすべて、人の力が及ばない偶然の仕業であり、自然の何かが影響しているわけです。いわば、自然の力がないと完成させられないということ。美は偶然と必然の結び目で表れるのかもしれません」

 自然の作用によって、暮らしの雑貨の上に表れた美は、あまりにもさりげなくそこにあるため、日常で使っている人にとっては当たり前であるし、そこに美があることに気づかないのが普通だ。

「彼は『用の美』、言い換えると生活の美ということもよく言っています。ものに用途に合わせた機能は必要ですが、機能に徹するだけでは『使いたい』『楽しい』『満足』という気持ちにならない。《肉体的需要が心理的作用によって増強されたり、減退されたりするのではないか。心的要素を交えない物的要求を考え得るであろうか。食欲は体の求めであり兼ねてまた心の求めだと言える》(P64)は、自分も仕事の中でとても感じることです。つまり動物が餌を食べるのと人間が食事をするのには違いがあって、人はものを使うことで、機能だけじゃなくて精神的にも満足を得ているのだという。《色や模様や形はこの求めに応じる。日々一緒に暮していて気持ちのよいもの、満足や情愛を誘うもの、かくなってこそ用は始めて充分な働きに入る。(略)だから品物の正しい美しさは、用から発足する。用を満たしてのみ、美しさが妥当なものとなるのである》(P76)。これは僕たちのような仕事をしている人間が常に考えていることです」

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取材は深澤さんの事務所「NAOTO FUKASAWA DESIGN」で行われた。サーブされた水の入ったコップはフォルムが美しく、しかも持ちやすい。宗悦が唱えた“用の美”という言葉が浮かんでくる。

 ただ機能的であればいいというものではないところが難しい、と深澤さん。約100年前に宗悦が提唱した思想は、ものづくりに携わる人たちにとって、現代になっても難題であることに変わりはない。

「用の美に気がつかないまま、人は毎日ものを使っている。それを見つけた宗悦はこういうことを言っています。《私は新しい美の一章が今日から歴史に増補ぞうほせられることを疑わない。人々は不思議がるであろうが、その光はいぶかりの雲をいち早く消すであろう》(P25〜26)」

「この発見は歴史になるということを最初から言っていて、それに確信を持っているのはすごいですよね。僕が東京やミラノ、NYで『スーパーノーマル』展をやったとき、普段使いのものだけを展示したんです。そうしたら見に来た人たちが『これ、うちにあるじゃない』って言うんですよね。毎日使っているものが美術館やギャラリーにきれいに並べられていると、なぜそれがここにと疑問に思うと同時に、かなりハッとする。それは相当の気づきのはず。でも実はそれを伝え続けるのは本当に難しいことなんです」

混沌とした社会で、自然が生み出す予測のつかない偶然に感動する

 政治や歴史がどれほど激動であろうと、暮らしという人間の営みの基本のところから意味を見つける宗悦の哲学は、非常に普遍的だ。不況や災害、戦争などが立て続けに起こった彼の生きた時代はもちろん、この混沌とした現代社会においてもその思想は受け継がれ、多くの人に支持されている。

《すべてが病弱に流れがちな今日、彼等のうちに健康の美を見ることは、恵みであり悦びである。そこにはとりわけて彩りもなく飾りもない》(P30〜31)。病弱に流れがちなのは当時もそうですが、現代にも通じると思っています。いま世の中は病んでいて、すべてが混沌としている。その中で自然から表れた偶然を見つけると、人間はすごく感動するんです。たとえば夕焼けやそれを背景に飛んでいる鳥の群れとか、自然は予測のつかない動きをします。そういう意図的なところのないものを見ると、わたしたちの心は動かされる。これはカントが言っていることですが、僕も最近本当にそう思うんです」

 人が作ったものや道具でも、わたしたちの意図を超えたところで自然が表すものに感嘆し、美を見いだすのは、人間も自然の一部をなす存在であるという本質的なことを思い出させてくれる。

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1918年にバーナード・リーチがスケッチした宗悦の姿。千葉・我孫子の自邸の書斎にて。

毎日食事で使っているその茶碗からでも、宗悦の哲学を感じ取れる

 日本民藝館には、現在、宗悦が収集した約1万7千点のものが収蔵されている。その中には、たとえば雨の日に着る蓑など、現代の暮らしでは役目を終えたものもある。しかし、食事に使う器はいまも変わらず生活の必需品。若い人たちも自然が表す美や、使うことで生まれる美、つまり用の美を、展示されているものから感じ取れるし、毎日の暮らしの中でも実感することができるはずだ。

「宗悦が民藝館を創設したとき、彼の哲学に共鳴した財界の人々や識者が支えていました。彼ら自身も美学的見地がすごくあった。だからやはり柳宗悦という人は特別な人だったんでしょう」

 日本民藝館はいま東京都の文化財に指定されているが、まだ国の文化財にはなっていない。そんななかで、しっかりと守っていかなければいけない使命がある、と語る深澤さん。30代だった自分が設立趣意書を読んで瞠目したように、若い人にも同様のパラダイムシフトが起こり得る。そのためにも本を読んだり民藝館を訪れたり、さまざまな形で宗悦の思想に触れてほしいと考えている。

「デザインは使う人のためにある」深澤直人が読む、柳宗悦。 | MUJI BOOKS 文庫本「人と物」シリーズ_zagL8A
濱田庄司作の地釉の夫婦湯呑みは、宗悦と兼子夫妻が晩年まで愛用していたもの。
「デザインは使う人のためにある」深澤直人が読む、柳宗悦。 | MUJI BOOKS 文庫本「人と物」シリーズ_JJ83d7
深澤さんの事務所の棚には、これまでにデザインしたテーブルウェアが。実際に使いやすく、並べても美しい。


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