部屋は私でできている
「暮らしの豊かさは、利便性だけでは生まれないと思う」稲数麻子さん

2026/06/06
今回訪ねたのは、店舗や空間のデザインを手がける稲数麻子さんと髙橋智也さん夫妻の自宅。空間づくりに携わる二人の家には、好きな質感にとことん正直になるという姿勢が、細部にまで息づいていました。
(取材・浦本真梨子 撮影・日野敦友)
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1991年東京都生まれ。studi PSHKE(スタジオ プシュケ)運営。イベントの空間装飾や店舗デザイン、プロップスタイリングなど幅広く活動する。「美しいを哲学する」をテーマとした活動体「PHILOSOPHIA」を主宰し、2022年にインディペンデントマガジン「ELEPHAS」を創刊。2026年よりオリジナルプロダクトのプロジェクト「peripateo」をスタート。
感覚と機能。そのちょうどいい関係を探して
店舗デザインやイベントブースの設計・装飾など、空間にまつわる仕事を手掛ける稲数麻子さん。これまでに夫の髙橋智也さんとデザイナーズマンションをはじめとするさまざまな家で暮らしてきた。
「いろんな家に住むこと自体が面白かったんです。ただ、住んでみると、“ここがもう少しこうだったら”って思うことが結構あって。その経験を生かして、自分たちにとって住み心地のいい家をつくれたらと思うようになりました」
そこで、自分たちでマンションを買い、リノベーションしようと決意。物件探しの条件は明確だった。2人と愛犬のウーが暮らせる十分な広さがあること。近くに商店街があり、日常生活がしやすいこと。そして、リノベーションされていない物件であること。探し始めて半年後、理想にぴたりとはまるマンションと出合った。のどかな商店街を抜けた先にある、築約50年の中古物件だ。そこからさらに半年かけて、設計と施工を進めていった。

家づくりで一番大切にしたことを尋ねると、稲数さんからは「有機的な質感」という言葉が返ってきた。
「日本の賃貸物件って、どんな人でも住みやすいように、白くてまっさらな壁やツルッとしたフローリングが多いですよね。どんな人にも使いやすい仕上げだとは思うのですが、それだと私たちはあまり落ち着かなくて」
そこで二人は壁や床材の素材選びにとことん時間をかけた。たとえば、リビングの壁は、既製品ではなく、左官職人と何度もやり取りを重ねながらオリジナルで色を調合したもの。
「こういう景色の色、こんな空気感、といった抽象的なイメージを職人さんに共有して、何種類もサンプルをつくってもらいました」
完成した壁は、均一に塗られた面ではなく、わずかな凹凸やムラが残る土壁のような風合い。朝と夜では光の当たり方によって見え方も変わるという。

床にも同じ考え方が通っている。リビングと廊下にはサイザル麻を、キッチンには天然素材からつくられたリノリウムを採用した。パッと見では、塩ビタイルのようにも見えるリノリウムは亜麻仁油などを原料にした天然素材で、学校や病院などでも古くから使われてきた素材。さらに、家の一部には土から生まれたソイルペイントも取り入れている。
「友達が来ると、“なんか落ち着くね”って言ってくれることが多いんです。それはたぶん素材のおかげだと思っていて。人はもともと土の近くで生きてきた生き物だから、有機的なものが近くにあると安心するのかなって思うんです」

質感が人に与える影響は大きい、と稲数さんは考えている。
「現代の住宅では、掃除や管理のしやすさから、つるっとした均質な素材が多く使われますよね。でも、利便性だけを追求していくことが、生活の豊かさにつながるわけじゃないと思っていて。管理のしやすさばかりを追い求めると、空間から風合いや陰影が失われ、味気なく感じてしまうんです」
とはいえ、自然由来の素材だけでは、なかなか暮らしは成り立たない。たとえば、収納しづらいものもあるし、水まわりには濡れても大丈夫なアイテムが頼もしく感じられる。それを踏まえた上で、稲数さんは機能性が必要な場所に、無印良品の収納用品や日用品をうまく取り入れている。
洗濯物入れとして長年使っているバスケットや、タオルなどの収納に使っているカゴは、水に強くサビづらいステンレス素材。引っ越しを重ねながらも変わらず、使い続けている。
「私の家は古い物や異国のものも混ざり合った雑多な雰囲気。引き算のインテリアではなくて、むしろごちゃっとしている。でも、無印良品のアイテムは不思議と浮かないんですよね。素材が嘘っぽくないというか、ステンレスならステンレスの、素材のよさを活かしてつくられているものが多いからかなと思います」
自然素材で空間の温度をつくり、無印良品のようなプレーンな道具で暮らしを支える。感覚と機能、そのちょうどいいバランスが、稲数さんの家ならではの心地よさを生み出しているようだ。


料理と会話が生まれるキッチンをつくる
料理が好きな二人にとって、キッチンは家の中心ともいえる場所。
「大人二人が立っても作業しやすいように、キッチンは広めに作りました」
ここは、友人や仕事仲間を迎えて一緒に楽しむ空間でもある。
「私たちは活動の幅が広いので、その分、さまざまな人と出会う機会があります。仕事として始まった関係だったけれど、気づけば家に招いて食事をすることもよくある。みんなで料理をしながら、食事をする時間が楽しいですね」
そんなふうに人目に触れることも多いキッチンカウンターに貼ったのは趣のあるタイル。実は、本来キッチンの使用には推奨されていない人造大理石のタイルだという。
「柄と色が好きだったから、どうしても使いたくて。タイルの上にコーティングをしているので、今のところ大きなトラブルはないですね。こんなふうに自分の家だから実験のつもりでいろいろ試せるのもいいんです」


収納もこれまでの住まいで感じてきた、もっとこうだったら、を反映している。
「昔は収納の少ない家に住んでいて、見せる収納も工夫して楽しんでいたのですが、全部見えているとどうしても生活感が出る。だから今回は、見せると隠すのメリハリを意識しました」
ウォーターサーバーを隠すためのスペースや、カトラリーやスパイスがぴたりと収まる収納など、ストレスを減らすための工夫を随所に。好きなものだけを見える場所に残して、それ以外のノイズはできるだけ排除する。
キッチン周りのもの選びも目に入って気にならないかどうかを重視。たとえば、存在感がある冷蔵庫も妥協せず選んだものの一つだ。
「今は廃盤になってしまった無印良品のシルバーの冷蔵庫がどうしても欲しくて、リサイクルショップを探し回って買ったんです。見つけた時は夫と二人で大喜びしました」
野菜の水気を切ったり、テーブルを拭いたり、料理中のオールマイティな相棒として活躍する布巾も無印良品のシンプルなものをセレクト。『ラップケース』も同様で、生活感が出やすいものだからこそ、できるだけノイズにならないデザインを選んでいる。



ホテルのような動線を家に取り入れる
以前の家では、自宅を仕事場としても使っていたという稲数さん。生活道具と仕事道具が混在し、オンとオフの境界が曖昧だった。今回の引っ越しを機に、家とは別の場所に事務所を借り、「家はくつろぐための場所」として動線やレイアウトを考えた。暮らしの質も大きく変わったという。
寝室にはベッドと本棚だけ。余計なものを置かず、眠るためだけの場所に徹している。そして、その奥には、パウダールームとバスルームが続く。
「ホテルみたいに、起きたらすぐ身支度に入れる動線がよくて。夫の友人が遊びに来ていても、顔を合わせずにスキンケアやメイクが完結するので便利です」
洗面台の三面鏡の中には、無印良品の『ふき取り化粧水』と『コットン 綿棒ケース』をセットで収納。朝起きてすぐスキンケアをするのが習慣の稲数さんにとって、洗面まわりの使いやすさは、一日のスタートを心地よく整えるために重要なポイントだ。
洗濯機の横には、キャスター付きの幅の狭いスリムなワゴンを。そこに入浴剤や犬用のシャンプーなどを収納している。
「実は一度別のメーカーのものをオンラインで買ったんですが、キャスターの動きが悪くて。探し直したら、無印でちょうどいいサイズを見つけました。見た目も使い心地もすごく良くて気に入っています」
引っ越しを機に構えた事務所では無印良品の『スタッキングシェルフ』を愛用中。
「サンプルや建材を入れるのに使っています。これくらい細かく区切られていると、重いサンプルを置いても棚板がたわみにくい。見た目にも安心感があります」



家づくりは終わらない。でも、それも楽しい
リノベーションでは、以前の住まいに残されていたものも一部そのまま生かした。木の格子壁や障子の引き窓など、壊すのではなく、残す選択をしたのだ。
「前のオーナーさんが愛用していた照明もそのまま譲り受けました。今、同じような照明を探してもなかなか見つからないんじゃないかと思って」
その感覚は、家具選びにも通じている。リビングに置かれた大きなソファや、ダイニングで使っている椅子や棚も中古のもの。今ではなかなか作れないような手の込んだ家具に、時間の蓄積を感じるという。
「オンラインで家具を買うことはあまりないですね。自分たちの目で見て、触って、選びたいタイプなんです」

幼い頃から、ものづくりが好きだったという稲数さん。大学卒業後に就職した会社でアートディレクターとして、空間装飾やイベントブースのデザインの経験を重ねた。ただ、仕事の幅が広がっていく中で、専門知識や技術が必要になることも。
「設備や設計、法規などの勉強は独学では限界を感じ、夜間の学校に通いながら知識を補ってきました。仕事をしながらの通学は大変でしたが、できることの幅が広がってきて楽しかった。つくることが好きで、一時期はセルフネイルにハマり、友達の家に出向いて施術するほど」
好きなものを形にしたい。その思いの延長線上に住まいがある。
「家づくりで大事なのは、急いで完璧を目指すよりも、何が落ち着くのか、どんな素材が好きなのか、そういうことを自分にちゃんと問いかけて、納得のいくものを選ぶことかなって思います。私たちもここで家づくりが終わったわけではなくて、新しく迎えたい家具もあるし、手を加えたい場所もある。けれど、その終わらなさもまたいいのかなって」

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